大中島村(読み)おおなかじまむら

日本歴史地名大系 「大中島村」の解説

大中島村
おおなかじまむら

[現在地名]立川町立谷沢たちやざわ

立谷沢川上流左岸に位置し、北は同川を挟み市郎右衛門いちろうえもん新田村、南は瀬場せば村、西は羽黒台地の大満原だいまんはら。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高五〇石余。寛永元年庄内高辻帳では高一七二石余。正保郷帳では田一五四石余・畑一五石余。弍郡詳記では高一九八石余、免三ツ八分、家数三二、小名として宮田みやたを記載。

大中島村
おおなかじまむら

[現在地名]富山市大島おおしま

常願寺川左岸にあり、五百石ごひやつこく往来が通る。南は高島新たかしましん村、西は河原新かわらしん村、北は藤木新ふじのきしん村など、対岸日置ひおき(現立山町)。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高八八石、免三ツ七歩、小物成は鮭役六匁・鮎川役二匁。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高・免に変化はないが、明暦元年の新田高二石があった(三箇国高物成帳)。延宝八年(一六八〇)水害による検地引高三五石などがあり、天保一一年(一八四〇)には打銀高五八石、免三ツ七歩(「高免帳」杉木家文書)

大中島村
おおなかじまむら

[現在地名]竹田市穴井迫あないざこ

玉来たまらい川が岩瀬いわせ村の上流で大きく湾曲する内側の沖積地を中心とする。正保元禄・天保の各郷帳にみえない。弘化物成帳では穴井迫組のうち、村位は中、免一〇成、田五一石余(四町八反余)・畑六石余(九反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田はなく、開畑もわずかである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android