布ヶ池跡
ぬのがいけあと
[現在地名]東区布池町
御添地のうち、北部にあり、江戸初期には原野中の大池で、池名は、昔、布をさらしたことによるといわれ、紙漉にも用いられた。寛永二〇年(一六一五)藩祖徳川義直の母相応院の火葬が高岳院の眼誉を導師としてこのほとりで営まれた。御下屋敷の添地であった頃は御泉水とよばれたが、延享(一七四四―四八)の中頃からしだいに田地と化し、江戸末期には板長屋筋の西裏境、竹藪の陰に池の形が残っていた(蓬州旧勝録、金鱗九十九之塵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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