布寄村
ふよりむら
[現在地名]成羽町布寄
標高三八〇―四五〇メートル、小起伏の緩斜面をもつ吉備高原上の村。西・南は成羽川と支流坂本川の浸食作用により急峻な断崖を形成し、西対岸は東油野村・平川村、南対岸は布賀村(以上現備中町)。寛永備中国絵図に村名がみえ高四一七石余、松山藩領。正保郷帳では幕府領となり、枝村に木ノ村・田原村・小此村・傍示木村・虻山村・葉乗村・角砂村がある。「備中村鑑」にも高五三四石余で幕府領と記され、正保(一六四四―四八)以降、一貫して幕府領と推察される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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