成羽川(読み)なりわがわ

日本歴史地名大系 「成羽川」の解説

成羽川
なりわがわ

高梁たかはし川の支流で、広島県比婆ひば郡の道後どうご山に源を発し、高梁落合おちあい阿部あべ高梁川と合流する。河川延長七七・七キロ、うち岡山県下は三二・四五キロ、流域面積九二九・五平方キロ、支流に坂本さかもと(八・三キロ)領家りようけ(一一・二三キロ)島木しまき(九・八キロ)日名ひな(九・七キロ)などがある。広島県域では東城とうじよう川とよばれ、ほぼ南流し、帝釈たいしやく川を合流して岡山県域に入り、吉備高原北西から南東貫流、深いV字谷を形成して渓谷美を展開する。

当川の開発の歴史は古く、鎌倉時代末期の徳治二年(一三〇七)に現備中町笠神かさがみ付近の浅瀬で船路開削工事が実施されたことを示す文字岩が、新成羽川ダム堰堤下流に残るが、現在は水没している(備中町の→笠神の文字岩

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改訂新版 世界大百科事典 「成羽川」の意味・わかりやすい解説

成羽川 (なりわがわ)

岡山県西部を北から南に貫流する高梁(たかはし)川の最大支流。全長78km。流域は過疎地が多い。広島県北東端の道後山に発し,広島県内では東城川と呼ばれる。名勝帝釈(たいしやく)峡のある帝釈川を合わせて岡山県に入り,成羽川となる。吉備高原を深いV字谷を形成しながら東流し,高梁市で高梁川に合流する。広島県境近くには中国地方第2の規模の中国電力の新成羽川ダム(30万kW)がある。ダムの堰堤(えんてい)下には〈笠神の文字岩〉と呼ばれる,自然石に刻まれた碑(史)がある。これは鎌倉時代末に,この付近の流路の難所を開削して川船の航路を開いた記念碑である。船は当時,中国山地で産する鉄などを運んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「成羽川」の意味・わかりやすい解説

成羽川
なりわがわ

広島,鳥取県境の道後山 (1269m) に発して南東流し,岡山県西部で高梁川に注ぐ川。高梁川最大の支流。全長約 80km。上流は東城川と呼ばれ,流域はかつて砂鉄の産地であった。吉備高原V字形の谷を刻む。岡山県高梁市に新成羽ダム,田原ダムが建設され,水島臨海工業地域工業用水を供給する。広島県東部にある支流帝釈川の帝釈峡は景勝地。新成羽ダム付近にある笠神文字岩は鎌倉時代すでにこのあたりまで舟運のあったことを示す貴重な史跡

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世界大百科事典(旧版)内の成羽川の言及

【治水】より

…また12世紀以後,東大寺派,西大寺派や浄土教系の僧侶による勧進活動の一つとして,治水事業にも取り組まれることとなった。重源や忍性の活躍は知られているが,西大寺僧による備中国成羽川の開削は,水運とかかわっていることと,中国渡来の石工がこれに参加していることで注目される。この頃には土豪,農民が地域の治水事業に積極的に参加しはじめた。…

※「成羽川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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