布施畑村(読み)ふせはたむら

日本歴史地名大系 「布施畑村」の解説

布施畑村
ふせはたむら

[現在地名]西区伊川谷町布施畑いかわだにちようふせはた須磨すま弥栄台やさかだい一丁目・同四丁目

伊川の源流地帯、太山たいさん寺の谷奥に位置し、西方門前もんぜん村、東は摂津国八部やたべ白川しらかわ(現須磨区)など。元応元年(一三一九)一一月一八日、地頭代官吉綱が布施畑内の出平居荒野一所を太山寺鎮守権現四季八講料田として寄進したのが早い(「地頭代官吉綱田地寄進状」太山寺文書)。四至は「東限入角、南限岡、西限菖蒲谷、北限河」であった。以降暦応二年(一三三九)六月藤原範保・範仲父子が伊川上庄地頭職内一分所務職一所(在布施畑村)(「藤原範保等寄進状写」同文書)、同四年六月一七日深草姫君が「ふせのはた」領家職を寄進(「深草姫君局奉書写」同文書)、貞和五年(一三四九)四月四日この寄進された布施畑村の万雑公事免除を伊川上庄公文に確認(「沙弥宗西寄進状写」同文書)、観応二年(一三五一)一二月一九日藤原範仲は伊川上庄内布施畑村地頭職を同寺に寄進した(「藤原範仲地頭職寄進状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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