布浦(読み)ぬのうら

日本歴史地名大系 「布浦」の解説

布浦
ぬのうら

[現在地名]土佐清水市布 布浦

寛永一〇年(一六三三)土佐二代藩主山内忠義によって取立てられた新浦。同年忠義が金剛福こんごうふく寺へ参詣の折、立石たていし村の海岸へ着船、当地の中ノ内十良右衛門宅に滞在して鹿狩をした。その時当海辺の地名を尋ねられ、これまで特別の地名はないと答えたところ、布浦と名付け、浦を開き漁猟を行うよう命じた。そこで中村御仕置前野弥五兵衛・田中源兵衛および以南筋御代官三浦助左衛門がその任に当たり、「寄夫を以御普請有之、家数三拾六軒速ニ出来、浦々より水主御引移シ有之、翌十一年年浦形相整、御貢物一切御免許」となり、十良右衛門が庄屋に任命された(盲人

元禄八年(一六九五)当浦水主文助(八〇歳)・倅次兵衛が布浦御下代甚太夫に提出した布浜新浦ニ被仰付覚書(布漁業組合蔵)も、右と同様の浦成立に至る経緯を記したのち、「私儀ハ明ル寛永拾壱年甲戌ノ春、年拾八歳ニて下茅より布浦へ出、水主ニ罷越申候、則其時より布浦水主居鋪懸り御貢物御免許被仰付、屋敷無役ニ居申候、(中略)浦々御割付水主人数名付左記」として、下川口しもかわぐち浦より一人、三崎みさき浦より二人、小江こえ(越)浦より一人、清水浦より二人、中浜なかのはま浦より二人、松尾まつお浦より五人、伊佐いさ浦より一人、窪津くぼつ浦より六人、以布理いぶり浦より三人、しもかや浦より六人、および下田しもだ(現中村市)より六人と記し、また「磯辺ハ下田堺迄諸猟漁取、諸事下茅浦より御支配被成候、私共布浦へ罷越浦ニ被仰付以後ハ、下茅堺ハ牛ノ子ばへ限、上ハ下田湊口馬野瀬限布村之分領故、右両堺之内分ハ布浦諸猟漁取仕、網代等ニ至迄今以外より何之構無御座候」と述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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