布田郷(読み)ふだごう

日本歴史地名大系 「布田郷」の解説

布田郷
ふだごう

現市域中心部付近に比定される中世の郷。「風土記稿」などには「和名抄」所載の多磨たま郡の新田にうた(邇布多)郷の地で、後世上略して布多としたと説くが、「和名抄」と同年代に成立した「延喜式」神名帳に載る多磨郡八座のなかに「布多天神社」があることからも、布多ないし布田が邇布多の上略とは考えがたい。布田郷の郷名は、深大じんだい寺の僧長弁の「私案抄」にある応永一八年(一四一一)二月の布田郷三本卒都婆の意趣書にみえる。道久入間上野という人物が死後菩提のため法華経を書写して布田郷内に三基の卒都婆を造立したときの供養の文章を長弁が記したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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