日本大百科全書(ニッポニカ) 「多磨」の意味・わかりやすい解説
多磨
たま
短歌雑誌。北原白秋(はくしゅう)主宰。1935年(昭和10)6月創刊、1952年12月終刊。当時の『アララギ』に代表される現実主義的傾向や散文化傾向に危機感を抱いた白秋が、浪漫(ろうまん)精神や象徴的方法の復興と、新幽玄体の短歌を目ざして多磨短歌会を結成。『多磨』はその機関誌として『新古今和歌集』、松尾芭蕉(ばしょう)、新詩社の『明星』に続く第四の象徴運動を提唱した。創刊には穂積忠(ほづみきよし)、木俣修(きまたおさむ)、中村正爾(しょうじ)、巽聖歌(たつみせいか)、北見志保子(しほこ)、初井しず枝らが、続いて宮柊二(しゅうじ)、鈴木幸輔(こうすけ)、鈴木英夫ら有力歌人が結集して、反『アララギ』の一大結社となった。しかし、1942年の白秋の死去により求心力を失い、委員制をとって運営を維持するも1952年に解散。以後、宮の『コスモス』、木俣の『形成』、中村の『中央線』などによって継承された。
[日高堯子]