布谷村
ぬのたにむら
下牧村の南方、野積川左岸にある。寛永一八年(一六四一)頃の諸寺道場締役覚書(聞名寺文書)に「布谷村幸西」とみえ、八尾聞名寺の道場役として綿二〇匁余・代銀三匁余を納めている。正保四年(一六四七)野積谷諸村にかけられた増免に反対した当村の理右衛門は上仁歩村、牧村(下牧村か)・花房村の者とともに成敗された(「申上書」若林家文書)。他方、増免分を含めて皆済できる手立てを探っていた村々に対して、当村の源治郎や中山の五郎右衛門は百姓の窮状を上申しないまま皆済を迫っているとして訴えられている(同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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