仏像制作者の主長に対する名称。平安中期ごろ組織化された仏所の長上をさすが、次の3種の意をも含み、広義に用いられている。〔1〕一つの造像に従事した棟梁(とうりょう)の呼称。〔2〕寺院の専属仏師の長に対する職称。〔3〕仏師の多くの功績に対する尊称。
大仏師の語は、1022年(治安2)の法成(ほうじょう)寺金堂・五大堂の落慶供養に際し、『小右記(しょうゆうき)』12月23日の条に「大仏師法橋定朝(ほっきょうじょうちょう)」とあるのが初見で、これは法成寺造像の最高責任仏師の意と思われる。すでにそれより前の奈良時代(8世紀)東大寺大仏造立にあたった国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)も大仏師の称でよばれるが、これは単に功労者に対する美称と解される。また937年(承平7)比叡山(ひえいざん)の仏像修理に際し、『叡岳要記』に平興(へいこう)法師らを「……堂大仏師」としてあげているが、これも一つの仕事の棟梁をさすものとみられる。しかし、同書の性格上、当時すでにこの語が用いられたかどうかは疑わしい。
定朝以後の大仏師とは、単に一つの造仏の主宰仏師の意のみならず、長上工、ベテラン、指揮権および一定の資格や功績のある仏師に与えられる肩書と思われる。また寺院に専従の仏師が置かれると、その仏所の長、つまり大仏師職(しき)につく者をさし、定朝が興福寺の専属となったのを初例とする。これがはっきりと制度化されたのは、平安末期の治承(じしょう)年間(1177~81)に成朝(せいちょう)が興福寺大仏師職に任ぜられてから後のことで、社会的にも認められ、代々康派仏所の長に世襲された。
[佐藤昭夫]
…職業仏師の祖といわれる定朝の父康尚(こうじよう)も叡山のこうした組織のなかから出てきた人物と思われるが,彼の場合は晩年に邸宅兼工房を持って生活していたらしく,資格としては土佐講師という僧としての肩書も備えている。このころから仏師の工房である仏所が定着するようになるが,その長上たる人物を大仏師といい,その下位にあって大仏師の手足となって働く者を小仏師と呼ぶようになる。大仏師の語はすでに奈良時代に東大寺大仏の造立に当たった国中(連)公麻呂(?‐774)の肩書として用いられているが,これは平安以後の大仏師とは意味を異にし,工人の棟梁に対する美称だと考えられる。…
…仏像を製作する造仏所の略であるが,単に仏所といった場合には,奈良時代における官営の造仏所(東大寺造仏所)や,平安時代初期のような大寺院がそれぞれ仏師をかかえていたものとは異なり,平安中期ごろから,仏師の棟梁(とうりよう)である大仏師の家や工房をさし,やがてその大仏師の指揮下にある仏師の集団とその系統をも意味するようになった。日本の職業的仏師の最初といわれる定朝やその子,また弟子が,各自こうした仏所をつくっている。…
※「大仏師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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