日本歴史地名大系 「下中山村」の解説 下中山村しもなかやまむら 富山県:婦負郡八尾町下中山村[現在地名]八尾町道畑下中山(どばたけしもなかやま)八十島(やとじま)村の南東、野積(のづみ)川右岸にある。北は道畠(どばたけ)村。正保四年(一六四七)の代官の非政につき訴状(若林家文書)に署名している「のづみ中山村」の五郎右衛門は当村の者で、寛永―正保期(一六二四―四八)の十村であった。南の宮下(みやのした)村の枝村で、元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では宮下村の三町ほど北にある枝村新田としてみえ、高三五石余。 下中山村しもなかやまむら 茨城県:下館市下中山村[現在地名]下館市下中山勤行(ごんぎよう)川左岸、筑波街道と真壁(まかべ)街道の分岐点に位置する。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、江戸時代は寛永一九年―寛文三年(一六四二―六三)の在番時代を除き、下館藩領。元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に、村高四八五・一三四石とあり、天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(同文書)には鎮守十二神・稲荷明神・羽黒権現、家数三五、馬一六とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by