日本歴史地名大系 「布野宿」の解説
布野宿
ふのじゆく
[現在地名]布野村上布野
布野宿は布野川沿いの沖積平地を避けて、その東側の山斜面に南北に延びる街村で、正徳五年(一七一五)以前に成立した芸備諸郡駅所市町絵図(浅野長愛氏所蔵)に、町の長さ三町三〇間・道幅二間とあり、文政二年(一八一九)の上布野村の「国郡志下調書出帳」には長さ三丁半の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
布野宿は布野川沿いの沖積平地を避けて、その東側の山斜面に南北に延びる街村で、正徳五年(一七一五)以前に成立した芸備諸郡駅所市町絵図(浅野長愛氏所蔵)に、町の長さ三町三〇間・道幅二間とあり、文政二年(一八一九)の上布野村の「国郡志下調書出帳」には長さ三丁半の
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