帆柱山城跡(読み)ほばしらやまじようあと

日本歴史地名大系 「帆柱山城跡」の解説

帆柱山城跡
ほばしらやまじようあと

[現在地名]八幡西区熊手・市瀬

帆柱山(四八八メートル)山頂部に築かれた山城。「正任記」文明一〇年(一四七八)一〇月九日条に「麻生帆柱山」とみえ、麻生家惣領弘家の要請で出陣した大内方の軍勢の一手が、庶子家の麻生家延が立籠る花尾はなお城攻撃のため当城に着陣している。永禄一二年(一五六九)春、毛利元春は「帆柱」へ陣替えし、さらに若松わかまつ(現若松区)芦屋あしや(現芦屋町)の渡りを通り、立花たちばな(現新宮町)に押寄せたという(「吉川家祖先勲功覚書上」史一〇―二など)。天正一四年(一五八六)羽柴(豊臣)秀吉先手として黒田孝高らが下向すると、麻生家氏らは当城攻撃を命じられた(一〇月四日「黒田孝高等連署書状写」麻生文書/筑前麻生文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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