改訂新版 世界大百科事典 「帯刀舎人」の意味・わかりやすい解説
帯刀舎人 (たちはきのとねり)
〈たてはき〉〈たてわき〉の舎人ともいい,略して帯刀とも書く。古代,春宮(とうぐう)坊の舎人監(とねりのつかさ)に舎人600人が置かれたが(〈東宮職員令〉),776年(宝亀7)舎人のうち10人を選び兵仗(武器)を帯して夙夜(しゆくや)(昼夜)皇太子(山部親王,のち桓武天皇)に侍して警備させ,これを帯刀舎人と呼んだ。806年(大同1)5月27日帯刀を20人に増員し(皇太子は賀美能親王,のち嵯峨天皇),さらに857年(天安1)5月8日には30人に増した(皇太子は惟仁親王,のち清和天皇)。その理由は,帯刀20人を3陣(陣は警備場所)に配すると各陣6~7人となり,病気や事故によって宿衛が手薄になるからとされる(《類聚三代格》)。帯刀のなかから長(おさ)2人が任ぜられ,のち1人に定められた。それに源平の武士が選ばれ,源義賢(よしかた)は《平家物語》などに帯刀の長と記される。帯刀の長は帯刀先生(せんじよう)とも呼ばれ,この下に部領(ことり)左右2人,脇左右2人および連(つれ)(〈むらじ〉ともいう)が属した。一説に707年(慶雲4)7月設置の授刀舎人寮の舎人も帯刀舎人と呼ばれたという。
執筆者:井上 薫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報