帯広町(読み)おびひろちよう

日本歴史地名大系 「帯広町」の解説

帯広町
おびひろちよう

大正四年(一九一五)から昭和八年(一九三三)まで存続した河西かさい郡の町。大正四年四月一級町村となり、同時に廃止となった伏古ふしこ村の一部(伏古別・伏古中島など)編入。これにより帯広町外四村組合は消滅、西の河西芽室めむろ(現芽室町)との境は西十五号線まで西に移動した。戸口は一千九五〇戸・八千四五七人となる。五月には三大字を廃止。同七年一〇月町は西二条から西四条の八―九丁目にかけてあった帯広区裁判所用地の一部が内務省へ返還されるとその全面積の払下げを受け、宅地割して販売し利益を得た。同八年に東京で設立された北海道製糖株式会社(現日本甜菜製糖株式会社)は同九年一二月河西郡大正たいしよう村大字売買村うりかりむらに帯広工場を設けて操業を始め、まもなく本社を帯広町に移して十勝の代表的な会社となった。

帯広町
おびひろちよう

明治三五年(一九〇二)から大正四年(一九一五)まで存続した河西かさい郡の町。明治三五年四月、下帯広村と荊苞ばらとう村が合併し、二級町村制を施行。旧村名を大字名とした。同時に上帯広村・伏古ふしこ村・幸震さつない村・売買うりかり村との一町四ヵ村で組合を編成した。組合役場は大通おおどおり一丁目にあった旧戸長役場があてられた。同年末の戸口は一千六一戸・二千九六〇人(帯広市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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