平城村
ひらじようむら
[現在地名]御荘町平城
僧都川の流入する御荘湾の東北方の海岸段丘上に立地する。北は和口村、南東は城辺村(現城辺町)に接する。観自在寺の門前町として発展した村。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「平城村 茅山有、川有、水損所」と村名がみえる。僧都川による水害のあったことがわかる。宝暦七年(一七五七)の「大成郡録」によると、本村組と中沢組の二組があった。宇和島藩領。
太閤検地の石高は七八七石一升で、耕地面積の比率は田七〇パーセント、畑三〇パーセントであったが、寛文検地では石高が八パーセント増加し、田六五パーセント、畑三五パーセントとなっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 