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八幡信仰 はちまんしんこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

八幡信仰
はちまんしんこう

八幡神に対する信仰。八幡社は末社の数が全国の神社のほぼ半数にも達するといわれる広い信仰を集めている。八幡神の本性については諸説があるが,その信仰の本源とみられる九州の宇佐神宮所伝では,その地の鍛冶の翁が大神比義の前に童子の姿で現れ,みずから誉田天皇 (応神天皇) と名のったとされる。宇佐八幡が威力を発揮したのは,天平年間 (729~749) の奈良の大仏鋳造の際で,託宣により銅の生産を豊かにし,これによって次第に中央に進出,平安時代初期には平安京近郊の石清水の丘に僧行教によって勧請され,王城鎮護の神として尊崇されるとともに,伊勢神宮と並べて二所宗廟としての地位を得た。さらに天皇家の裔である清和源氏氏神として尊信したことから武人の間にも信仰が広がり,ついには庶民層にもその信仰は及んだ。

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百科事典マイペディアの解説

八幡信仰【はちまんしんこう】

宇佐神宮を根本社とする八幡神に対する信仰で,最も広く分布するものの一つ。元来豊前(ぶぜん)国造家の宇佐氏,大神(おおが)氏の氏神の信仰から出たとされる。信仰の発生が西辺にあったので,大和朝廷は外敵防護の神とした。

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世界大百科事典 第2版の解説

はちまんしんこう【八幡信仰】

八幡神に対する信仰。大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(八幡宮)に起こり,日本で最も普及した神社信仰である。しかしその発生発達は複雑で,古来諸説が多く,海神,鍛冶神,ヤハタ(地名)神,幡を立ててまつる神,秦氏の氏神,焼畑神,ハルマンhalmang(朝鮮語の〈婆さん〉の俗語)の神(姥神)などといわれてきた。しかし八幡宮神事の祭祀集団は,豊前国北部の田川・京都(みやこ)などの集団と,南部の宇佐・下毛などの集団によって構成されている。

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大辞林 第三版の解説

はちまんしんこう【八幡信仰】

八幡神に対する信仰。古く九州宇佐八幡宮に対するものを起源とするが、平安時代には朝廷が王城鎮護神として崇め、鎌倉時代には源氏が氏神として以後、武士が守護神として信仰、全国に広まった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

八幡信仰
はちまんしんこう

全国各地に鎮座する八幡神社または若宮八幡社などの名でよばれる神社信仰。本宮は大分県宇佐(うさ)市に鎮座する宇佐神宮で、八幡大神(はちまんおおかみ)、比売大神(ひめおおかみ)、神功(じんぐう)皇后を祭神とし、八幡大神、八幡大菩薩(だいぼさつ)が信仰の対象。わが国の神社信仰のなかでもっとも普及した信仰で、全国に4万余の八幡社がある。八幡神は一般に戦(いくさ)の神、仏教守護神といわれるが、その信仰の発生、発達は複雑で、海の神、鍛冶(かじ)の神、秦(はた)氏の神、焼畑の神、ハルマンの神などの諸説があった。記紀によると豊前(ぶぜん)国宇佐には宇佐津彦、宇佐津姫がみえ、宇佐国造(くにのみやつこ)が祀(まつ)る宇佐神があった。しかし宇佐八幡宮の縁起には、571年(欽明天皇32)のころ宇佐郡菱形池(ひしかたいけ)辺に奇瑞(きずい)を現す鍛冶翁(かじのおきな)がいて、大神比義(おおがのひぎ)が祈ると、3歳の童児が現れ竹葉を立てて八幡神応神(やはたがみおうじん)天皇の霊であると託宣したとあり、その後は宇佐神は「やはた神」に隠れてしまう。宇佐の特殊神事に放生会(ほうじょうえ)、行幸会(ぎょうこうえ)があるが、その祭祀(さいし)集団をみると、豊前国田川郡と京都(みやこ)郡などの「古代とよ国」と、豊前国上毛(かみつみけ)郡と下毛郡などの「古代やま国」とみられる土地の人々が「やはた神」に神験を奉っている。これが原始からの神事ならば、創祀の地は豊前国筑城(ついき)郡綾幡郷(あやはたごう)あるいは上毛郡山田郷で、のちに宇佐に移ったのかもしれない。司祭者は5世紀には豊国奇巫(きふ)、6世紀には豊国法師らしく、いずれも天皇の治病に参内している。このころ蘇我馬子(そがのうまこ)が大神比義を宇佐に遣わし、「やはた神」に応神天皇の神格を与えたのではないかとみられる。同宮は712年(和銅5)に官社となり、天平(てんぴょう)年間(729~749)の東大寺大仏鋳造に協力してその鎮守となり、以後、国分寺を通じて八幡神は全国的になった。東大寺ができると749年に八幡神に一品(いっぽん)、比(ひめ)神に二品(にほん)の神階、翌年、当時最高の封戸(ふこ)1400戸が授けられた。以後国家の大事に関係し、託宣により道鏡(どうきょう)の天位の野望を退けたので、宇佐へ恒例の勅使が続いた。この神に781年(天応1)菩薩号が贈られ、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に勧請(かんじょう)されると、皇室の太祖(たいそ)、第二の宗廟(そうびょう)と仰がれた。また、源氏の氏神となり、関東・東北地方に進出し、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)が勧請されると中世武士の崇敬を受け、「神は八幡」といわれ、全国に勧請された。八幡神は仏教のみでなく当初は道教とも融合していて、山岳信仰との関係が深い。平安時代には、九州に広まっていた母子神信仰と結び付き、神母は人聞(にんもん)菩薩とよばれて安産、農耕、生産などの庶民信仰となり、六郷(ろくごう)山を本拠として豊後(ぶんご)の国東(くにさき)半島に栄えた。[中野幡能]
『中野幡能著『八幡信仰史の研究』上下(増補版・1975・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の八幡信仰の言及

【百合若大臣】より

…幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。神仏の加護による異国退治の話柄からは八幡信仰が想起されるが,幸若舞曲でも百合若の御台所が宇佐八幡へ願を立て,所願成就したと語られている。また,百合若が観音の申し子であることは,神功皇后の本地が観音とされていたこと(《八幡大菩薩御縁起》など)をふまえているものと考えられ,百合若説話と八幡信仰とのかかわりの深さを推測させる。…

※「八幡信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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