平安座村(読み)ひやんざむら

日本歴史地名大系 「平安座村」の解説

平安座村
ひやんざむら

[現在地名]与那城町平安座へんざ

屋慶名やきな村の北東洋上に浮ぶ平安座へんざ島の南側の緩い傾斜地にある。ヒャンザとよばれる。「おもろさうし」巻一六の二八に「ひやむさ よさきかわ(平安座濯ぎ川)/てもち よすきいちへて(手持ち〔玉〕を濯ぎ出して)/くにてもち おきやかもいに みおやせ(手持ち〔玉〕を輝ける御方〔王〕に奉れ)」とある。ここの「よさきかわ」(井戸)は現存する。また同書巻一六の五にも「はまひやもさみやれは(浜平安座見やると)」とある。

集落の発生は島中央部平安座西へんざいりグスク周辺との伝承があり、絵図郷村帳に平安座村とみえる。琉球国高究帳には平安座島とあり、高頭四一石余、うち田一〇石余・畠三〇石余。里積記によれば田畑とも下の村位。慢性の水不足に悩まされ、乾隆六〇年(一七九五)には平安座村前池味親雲上らが当村平田原ひらたばるなどの天水田を灌漑する用水路を開削したなどの功労を賞されており(「球陽」尚温王元年条)、嘉慶二四年(一八一九)にも池味親雲上らにより当村天水田への灌漑用水工事と水田開発が行われた(同書尚王一九年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む