平形村(読み)ひらかたむら

日本歴史地名大系 「平形村」の解説

平形村
ひらかたむら

[現在地名]藤島町平形

藤島川左岸に位置し、南は新屋敷あらやしき村、北対岸は落野目おちのめ村・八色木やいろぎ村。慶長年間(一五九六―一六一五)頃まで平賀ひらがと称したといわれ、その頃まで平形館があった。桜屋敷さくらやしき田屋敷たやしきなどの地名がある。太閤検地反対の庄内一揆の際、藤島城に拠って抵抗した金右馬允は一時佐渡に渡ったが、子の右馬允はその後庄内に戻り、寛永四年(一六二七)庄内藩酒井氏に召抱えられ、知行二〇〇石を給された。そのうち五〇石を当村で与えられ、同七年から一二年までに新田四二石余を開いた。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に平潟村とみえ高二〇〇石余、以後庄内藩領。


平形村
ひらかたむら

[現在地名]金成町津久毛つくも

岩崎いわざき村の北西に位置し、西は里谷さとや(現栗駒町)正保郷帳に田四四貫二〇文・畑三貫三四九文とあり、ほかに新田一二五文。「宝暦職鑑」によると、着座格の高屋喜庵が一千三四石六斗で在所拝領となっており、侍屋敷一一軒、足軽屋敷六軒が許されていた。「安永風土記」によれば、田四四貫二六〇文・畑四貫四〇二文で、蔵入一八貫一八二文のほかは給所。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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