江戸末期の国学者。幼名雄三郎、通称勝左衛門。号橿屋(かしのや)、のち厳橿本(いつかしがもと)など。文化(ぶんか)9年5月5日生まれ。淡路国津名(つな)郡仁井(にい)村(兵庫県淡路(あわじ)市)の出。生家は代々、里長で、父重威(しげたけ)、母岡本麗子(うらこ)の二男。大坂鴻池(こうのいけ)、神戸橋本家に寄寓(きぐう)し諸芸を習い、父の影響で国学に志し、21歳平田篤胤(あつたね)に入門名簿を送り、23歳大国隆正(おおくにたかまさ)門に入り、32歳秋田に赴いたが、篤胤没後で、大坂のち江戸日本橋村松町、さらに向島小梅(むこうじまこうめ)に住み、諸国を旅して神道(しんとう)を中心とする学風を広め尊攘(そんじょう)派と交流したが、文久(ぶんきゅう)3年8月15日小梅の自宅で刺客に暗殺された。52歳。墓所は東京都杉並区和田長延寺。
平田派から別れ、『延喜式祝詞(えんぎしきのりと)講義』『中臣寿詞(なかとみのよごと)講義』のほか、未完の大著『日本書紀伝』は客観性に欠く点もあるが、注釈詳細である。和歌の編集もあり、小論『世継草(よつぎぐさ)』はじめ日記、紀行文も多い。
[林 勉]
『樹下快淳編『鈴木重胤全集』全13巻(1937~44・鈴木重胤先生学徳顕揚会)』▽『高階成章校『国学大系21 鈴木重胤集』(1944・地平社)』▽『芳賀登・松本三之介注『世継草』(『日本思想大系51』所収・1971・岩波書店)』▽『樹下快淳著『贈正五位鈴木重胤真人物』(1931・遺風顕彰会)』▽『星川清民著『鈴木重胤伝附門人伝』(1943・言霊書房)』▽『谷省吾著『鈴木重胤の研究』(1968・神道史学会)』
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江戸後期の国学者。通称勝左衛門。号は橿廼舎,厳橿本。淡路国仁井村の庄屋の家に生まれる。父の指導により国学を志す。大国隆正に学び,さらに1843年(天保14)秋田に平田篤胤をたずねるが,死去していたので,没後の門人となる。《延喜式祝詞講義》と《日本書紀》神代巻の注釈《日本書紀伝》(未完)の二大著述があり,精細な考証を特徴とする。江戸本所小梅の自宅で,刺客におそわれて死す。
執筆者:平野 仁啓
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…注釈書。鈴木重胤著。1862年(文久2)30巻まで成る(未完)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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