日本歴史地名大系 「平房村」の解説 平房村ひらぼうむら 鹿児島県:曾於郡輝北町平房村[現在地名]輝北町平房百引(もびき)村の東に位置する。村域の中央部、シラス台地を流れる平房川(大鳥川)が形成した浸食谷に上平房・中平房・下平房の集落がある。中世から平房とみえ、中平房には加瀬田(かせだ)城が築かれた。近世は百引郷に属した。〔中世〕建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)に小河(おがわ)院のうちとして「平房六丁」とみえる。建武三年(一三三六)当地にある「肝付郡加世田城」に南朝方肝付兼隆が立籠って島津貞久の軍勢と攻防を繰広げるなど(同年五月二七日「島津道鑑宛行状」旧記雑録)、当地は同城の存在により中世末まで合戦の場となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by