平方条
ひらかたじよう
大和法隆寺領鵤庄の六ヵ条の一。現佐用岡一帯に比定される。「播磨国風土記」の揖保郡枚方里の里名を継承する。鵤庄の北東部に位置し、北は西方更条、南は東保(東北)条、西は西方中条、東は太田庄と接する(嘉暦四年四月日「鵤庄絵図」法隆寺蔵)。「法隆寺別当次第」良盛の項に平方条とみえ、弘長二年(一二六二)二月に円照の勧進により恵学供料として寄進されている。弘安三年(一二八〇)の鵤庄平方条実検目録(法隆寺文書)によると六六町四反余。同じ頃の年未詳の鵤庄実検目録(同文書)も平方条のものと考えられ、下司・田所・名主・百姓の屋敷があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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