朝日日本歴史人物事典 「平時家」の解説
平時家
生年:生年不詳
平安末期の貴族,源頼朝の側近。晩年信時と改名。平時忠の次男。当初,京で活躍し,蔵人,大学助,美作守などを経て従四位下伯耆守・右近権少将に至るが,平清盛による治承3(1179)年11月政変の際,継母の讒言もあって解官され,上総国(安房国とも)に追われる。同地では豪族上総広常の婿に迎えられ,寿永1(1182)年1月にはその推挙によって頼朝に拝謁。以後,京下りの貴族を重視する頼朝の厚遇を受け,儀式などに際して側近として活躍したが,建久4(1193)年,鎌倉で死去し,頼朝を嘆かせた。
(元木泰雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報