日本歴史地名大系 「平松浦」の解説 平松浦ひらまつうら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉北区平松浦[現在地名]小倉北区平松町小倉城下の北西、板櫃(いたびつ)川河口の右岸に位置する。南は小倉城下の鋳物師(いもじ)町、南西は板櫃川を挟んで干上(ひあがり)村に接し、北方沖に馬(うま)島がみえる。慶長七年(一六〇二)の細川忠興の小倉城築城にあたって紫(むらさき)川河口の東西に住んでいた漁人を東浜(長浜)・西浜(平松)に分住させたという(倉府俗話伝)。元和一〇年(一六二四)「長浜平松之猟人」に対して飯米一日五合の給付が定められた(永青文庫蔵「万覚書」同年三月二九日条)。寛永五年(一六二八)当浦沖で宇佐郡の船が破損、積米二八六俵の処理を浦奉行に任せている(同「日帳」同年二月二三日条)。同年東の茶屋にあった小倉藩主細川忠利は長浜(ながはま)・平松の猟船五八艘を沖に出漁させ、その漁獲を残らず買上げ、家老・奉行らに振舞ったという(同帳同年九月二二日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by