日本歴史地名大系 「平沼新田」の解説 平沼新田ひらぬましんでん 神奈川県:横浜市西区平沼新田[現在地名]西区平沼一―二丁目・西平沼(にしひらぬま)町帷子(かたびら)川最下流、右岸の寄洲に開発された新田。東は入海、西は尾張屋(おわりや)新田、南は戸部(とべ)村、北は帷子川を隔てて藤江(ふじえ)・岡野(おかの)両新田に接する。常陸国の出身で、明暦年間(一六五五―五八)保土(ほど)ヶ谷(や)宿(現保土ヶ谷区)に移住し、代々酒造業を営んだという平沼家の五代九兵衛が天保一〇年(一八三九)頃に開発に着手、七代九兵衛に至り完成した。翌一一年の保土谷宿組合村高書上帳(緑区吉浜文書)には高五一石余、家数四とある。安政六年(一八五九)に開かれた横浜道が新田の東端を戸部村へ抜け、民家も増えた。慶応三年(一八六七)の家数一二、人数四七、明治二年(一八六九)家数二九、人数一一七、同五年家数一二五、人数四一三である。 平沼新田ひらぬましんでん 茨城県:下妻市平沼新田[現在地名]下妻市平沼糸繰(いとくり)川左岸にあり、北は大串(おおくし)村、東は坂井(さかい)村。元禄期(一六八八―一七〇四)以後の新開といわれる(新編常陸国誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by