デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平知度」の解説 平知度 たいらの-とものり ?-1183 平安時代後期の武将。平清盛の子。治承(じしょう)4年源頼朝追討軍の大将軍のひとりとして進軍したが,富士川の戦いで敗走。のち美濃(みの)(岐阜県)墨俣(すのまた)で源行家をやぶる。源義仲追討のため北陸にむかうが,寿永2年5月12日倶利伽羅(くりから)峠の戦いで討ち死にした。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「平知度」の解説 平知度 没年:寿永2.5.12(1183.6.3) 生年:生年不詳 平安末期の武士。清盛の子。尾張・三河守となり,治承4(1180)年の東国の源頼朝追討軍では平維盛・忠度らと追討の将軍となり,翌年3月の墨俣の戦では平重衡と共に源行家の軍を破った。寿永2(1183)年4月に北陸の源義仲追討に派遣されたが,加賀国(石川県)篠原の戦で討死した。 (五味文彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報