…しかしこの神が天上に上る日は天一天上とて何事も吉とされ,藤原実資はその日に寝殿の檜皮をふかせた。王相は月塞りの禁忌であり,八将神は大歳,大将軍,大陰,歳刑,歳破,歳殺,黄旛,豹尾の諸神をさす。とくに大将軍は太白神と同じく金星を意味し裁断をつかさどるといわれ,とくにその祟りをおそれ京都の周辺には平安末から大将軍社がまつられ,中世には八将神を祇園の牛頭天王(ごずてんのう)の子とするようになった。…
…日本古代においては天皇の命を受け,軍隊を統率して蝦夷(えみし),隼人(はやと)等を討ち,また海を渡って朝鮮半島に戦った軍人の称。《日本書紀》に崇神天皇が四方を征服せしめるために4人を将軍に任じたことが見え(四道将軍),また雄略天皇が紀小弓(きのおゆみ)ら4卿を将軍に任じ,欽明・推古朝に外征の大将軍,副将軍の任命されたことが散見するが,これらは後世の称号をもって追記したもので,当時はただイクサノキミとのみ言い,将軍の号はなかったものと思われる。ただ,《日本書紀》に将軍の肩書を持つ氏族を見ると,大伴・物部はもちろんのこと,蘇我・河辺・境部のいわゆる蘇我一族,それらとともに武内宿禰の裔と称する紀・角・巨勢・葛城・平群・波多の諸氏が目だち,そのほか上毛野・阿倍・吉備などの雄族,そして海人(あま)族である阿曇氏などが挙げられる。…
…衛尉が南軍,中尉執金吾が北軍を統轄)と地方軍(郡国の都尉が統率)と辺防軍(国境守備隊)とがあった。秦の軍政長官は太尉,漢では大将軍。前漢では徴兵制をとり成人男子を正卒として徴発し,約30年の在役中,1年は禁衛軍(約5万人),1年は出身地の郡の警備隊に勤務,他の期間は在郷兵として都試(軍事訓練)を受けつつ本業に従事した。…
…そのため将軍は一度軍陣に臨めば王命すら聞かないことを認められた。漢代ではこのような権限を持つ官職は常置の官ではないとの建前をとり,必要に応じて任命し,前・後・左・右将軍のほか最上級の大将軍,車騎将軍,皇帝をまもる衛将軍などがあったが,武帝の対匈奴戦で霍去病(かくきよへい)が驃騎将軍として大将軍衛青とその功が並んだため驃騎将軍は大将軍と格を同じくする将軍号となり,さまざまな美称をつけた列将軍を指揮するようになった。霍光が大将軍として昭帝を補佐した例が,その後外戚の長が将軍として尚書のことにもあずかる風を開き,外戚の権力構造の基本となった。…
※「大将軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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