平野美貴子(読み)ヒラノ ミキコ

20世紀日本人名事典 「平野美貴子」の解説

平野 美貴子
ヒラノ ミキコ

昭和期の女性 原爆詩「生ましめん哉」のモデル



生年
明治42(1909)年

没年
昭和56(1981)年9月29日

経歴
広島原爆2日後の昭和20年8月8日、多くの人たちが死に直面していた旧広島地方貯金局の暗い地下室で産気づき、助産婦だと名のり出た一重傷者の手助けで無事に出産、助産婦は血まみれのまま亡くなった。この話は、人づてに聞いた広島市在住の詩人栗原貞子が21年3月「中国文化」創刊号に発表した詩「生ましめん哉」のモデルとなった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野美貴子」の解説

平野美貴子 ひらの-みきこ

1909-1981 原爆詩「生ましめん哉」のモデル。
明治42年生まれ。広島に原爆が投下されて2日後の昭和20年8月8日旧広島地方貯金局の地下室で産気づいた。助産婦だという被爆重傷者の手助けで無事女児を出産。助産婦はそのまま死亡。栗原貞子がこの話をもとに作詩し21年「中国文化」創刊号に発表した。昭和56年9月29日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む