出産(読み)シュッサン(その他表記)parturition

デジタル大辞泉 「出産」の意味・読み・例文・類語

しゅっ‐さん【出産】

[名](スル)
子が生まれること。また、子を産むこと。「男子を出産する」
産物ができること。産物をつくること。産出。「出産地」
[類語]産む産み落とす分娩お産安産難産初産ういざん初産しょざん初産はつざん産する身二つになる腹を痛める産卵産み付ける抱卵かえかえ孵化ふか孵卵托卵

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精選版 日本国語大辞典 「出産」の意味・読み・例文・類語

しゅっ‐さん【出産】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 産物が出ること。物ができ上がること。産出。また、その物。産物。
    1. [初出の実例]「此山より銅を出産せうよりも、此銅山を変じて田地になして」(出典:四河入海(17C前)五)
    2. [その他の文献]〔蘇軾‐歳晩相与饋問云云故為此三詩寄子由饋歳詩〕
  3. 子を産むこと。また、子が生まれること。母体の子宮内で育った胎児と胎盤を母体外に産み出すこと。分娩。〔書言字考節用集(1717)〕
    1. [初出の実例]「あたる十月目といふにしゅっさんして、玉のごとくの男子をまふけければ」(出典:黄表紙・心学早染艸(1790)上)

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改訂新版 世界大百科事典 「出産」の意味・わかりやすい解説

出産 (しゅっさん)
parturition

分娩(ぶんべん)ともいう。胎生の動物で母体内での発達を終えた胎児(胎子)が母体から放出されること。妊娠期間,産子数,出産時の胎児の状態などは,動物の種類によって異なる。例えば同じ齧歯(げつし)類でも,ネズミの子は無毛で目を閉じたままで生まれるが,モルモットでは開眼で,毛が生えそろった状態で生まれてくる。子が生まれてからすぐに自活能力をもつものを早成性precocity,長く親の保護を必要とするものを晩成性altricityというが,一般に草食獣は早成性,肉食獣は晩成性の傾向がある。哺乳類では,子宮の壁を形成している平滑筋の収縮により,胎児を包んでいる胎膜が破れ,胎児が腟を通り腟口から体外に押し出されることが多い。ついで胎盤が放出される。これを後産(あとざん)という。子宮筋の収縮は間欠的にかつ周期的に起こり,だんだんと強くなる。この子宮筋の収縮には,神経系とともに内分泌系(ホルモン)による支配があり,黄体ホルモンが減少し発情ホルモンが分泌されることが,収縮を可能にする条件であるといわれている。また収縮を直接ひき起こすことには,脳下垂体後葉ホルモンのオキシトシンや,子宮壁で生産される局所ホルモンの一種であるプロスタグランジンが関与している。また出産に際しては,恥骨連合がゆるんで,産道を広げる作用をもつレラクシンが分泌されることも重要であることが,一部の動物で明らかにされている。
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ヒトの出産は英語ではlabor,delivery,birthといい,WHOの提案では500g未満または満22週未満あるいは身長25cm未満の胎児の場合は成育不可能なので,周産期統計上は出産に含まれない。〈分娩〉は出産と同義に用いられるが,出産は一般的用語として,分娩は学術用語として用いられているということができよう。また出産は娩出された児を中心に結果として見る場合であり,分娩は母体を中心にしかもその経過を含めていう場合に用いられるということもできよう。出産は生産と死産とを総称したものである。なお出産中の妊婦を産婦という。

妊娠期間gestational ageは妊婦の最終月経第1日から起算し,満週をもって表現する。すなわち最終月経第1日は0とし,たとえば妊娠6週は最終月経第1日の翌日を第1日として,42日から48日まで,第7週は49日から55日までとなる。また妊娠月数は暦日によるのではなく,4週をもって1月として数えて計算し,妊娠第○月とする。妊娠24週未満の児の生存が不可能な出産は流産とし,24週から37週未満を早産preterm delivery,37週から42週未満を正期産term delivery,42週以上を過期産postterm deliveryという。1978年までは出産体重2500g以下を未熟児と呼んでいたが,体重と未熟性とは必ずしも平衡しないことから,出産体重2500g未満を低出産体重児low birth weight infant分娩と呼ぶことになった。平均妊娠期間は,ヒトでは平均280日であるが,動物では表1のとおりである。

胎児の数により,胎児1人を分娩するのを単胎分娩,胎児が複数のときを多胎分娩(3人を3胎または品胎,4人を4胎または要胎,5人を5胎など)といい,9胎分娩までの報告がある。多胎分娩の頻度としてはヘリンの式があり,n胎は単胎分娩80n1に対して1回みられる。1個の受精卵からできる一卵性双胎は人種による差は少なく,出産の0.3~0.4%にみられるが,2個の受精卵からできる二卵性双胎は人種により1.3~0.3%と相当の差がある。日本では二卵性双胎が0.3%と少ない。その原因は不明であるが,男女の異性双胎が嫌悪され淘汰されたとか,排卵をおこすゴナドトロピンが日本女性では少ないためともいわれる。

自然分娩とは自然の娩出力により人工的な介助(ただし会陰保護,軽度の会陰切開を除く)を行わないで分娩したものをいい,人工的介助を加えたものを人工分娩という。正常分娩とは正規の妊娠期間に,胎児およびその付属物の発育,産道,娩出力がそれぞれ適切で,順調に子宮頸管が開大し,先進部が下降して,一定時間内に経腟的に分娩が終了し,かつ母児とも分娩による障害を受けない場合をいう。異常分娩とは上記の条件を満たさない場合である。

初めて出産する女性を初産婦,以前に出産したことのある女性を経産婦という。前回の出産が妊娠24週未満の場合は初産婦として取り扱う。出産した児が生きているのを生産(出生)といい,妊娠または分娩中に児が死亡した場合を死産といい,両者を合わせて出産とする。

分娩には産道,娩出力および胎児とその付属物の三つの主要な要素がある。まずこの3者について別々に述べたい。

産道とは,分娩時に胎児およびその付属物が通過する骨盤腔の部分をいう。産道がヒトにおいてとくに重視されるのは,ヒトが立位をとって歩行するようになり,腰椎と仙骨との連結が直線的でなく約230度傾いて結合し,産道の前壁が短く,後壁が長く凹湾を呈しているためである。産道は骨産道と軟産道とに分けられる。骨産道を入口部,闊部(かつぶ),峡部および出口部に四分する。入口部の上限は,前方は恥骨結合上縁,後方は岬角(こうかく)を含む平面(入口面)であり,下限は骨盤分界線の最下縁を通る入口面と平行する平面である。入口部は約2cmの高さを有する。闊部は入口部下限を上限とし,下限は恥骨結合下端から左右坐骨棘(ざこつきよく)を通り仙骨前面に至る平面である。闊部は広いので,恥骨結合後面中央と第2仙椎と第3仙椎との癒合部中央を結ぶ平面(闊面)によって闊部上腔と下腔とに分けられる。峡部は闊部下限を上限とし,下限は恥骨結合下端と仙骨先端とを結ぶ平面である。出口部は峡部下限を上限とし,下限は恥骨結合下縁と坐骨結節間径とを結ぶ恥骨弓下の平面と,坐骨結節間径と尾骨先端とを結ぶ平面の坐骨結節間径を中心とした前後の2平面により形成される。骨産道として産科学的に重要な意義を有する部分は,周囲を骨組織により囲まれた融通性のほとんどない入口部および闊部上部である。それ以下の部分は骨組織のほかに靱帯,筋肉組織によって結ばれているので,多少広くなりうる。したがって入口部,闊部上部の意義が大きく,経腟分娩が可能か否かの判断資料になる。闊部はその名のとおり比較的広い部分であるが,これは仙骨が凹湾を呈するためである。したがって仙骨が正常の凹湾でなく直線的あるいは膨隆する場合には分娩の障害になることがある。産科真結合線は岬角から恥骨結合後面に至る最短距離で平均11.5cmあり,これが9.5cm未満を狭骨盤,9.5cm以上10.5cm未満を比較的狭骨盤という。この産科真結合線は骨産道の最短前後径であるが,仙骨が直線あるいは膨隆する場合には闊部に最短前後径があって,闊部で容易に行われるはずの児頭回旋が行われなくなる。

 骨産道の計測は外測法,内測法およびX線計測法により行われる。外測法つまり骨盤外計測法は,骨盤の外側を計測してその内側の骨産道の大きさを推測しようとするもので,恥骨結合上縁から第5腰椎棘状突起までの距離を外結合線とし,平均19cmであり,18cm未満であれば狭骨盤の参考値とする。外結合線のほかに棘間径,稜間径,外斜径,転子間径および側結合線が外計測としてあげられる(表2)。内測法としては,岬角から恥骨結合下端の間の対角結合線を主として坐骨棘間径,坐骨結節間径がある。X線計測法では,前述の産科真結合線,骨盤入口部形態,仙骨形態,棘間径などがあげられる。骨盤を直接計測するのではないが,児頭が骨盤腔に入りうるか否かを診断する機能的診断法がある。産婦を仰臥位にして恥骨結合より児頭が低ければ経腟分娩可能とする。

 軟産道は子宮下部,頸管および腟からなる。子宮下部は妊娠前半に漏斗状に開大し,その下端および頸管は分娩時に子宮収縮によって拡大される。頸管および腟にはひだがあり,開大しやすい構造になっている。

娩出力には子宮収縮すなわち陣痛と腹圧とがある。分娩時の子宮収縮を分娩陣痛または単に陣痛labor painsというが,子宮収縮そのものは非妊時にも妊娠中にもみられる。妊娠時の子宮収縮を妊娠陣痛といい,分娩直前の子宮収縮を前陣痛という。分娩陣痛と前陣痛との違いは,子宮口を開大させるか否かにある。子宮底の収縮が子宮下部より強いいわゆる子宮底優位の陣痛,または子宮底の収縮が強いばかりでなく早く始まり長く続く陣痛が分娩陣痛であるといわれるが,前陣痛にもみられることがある。しかし前陣痛はそれほど強くなく規則的でないのが特徴であり,安静などによって消失する。

 分娩陣痛は持続的な子宮収縮ではなく,収縮と休止を交互に反復するもので,個々の収縮を陣痛発作,発作終了から次の発作までの休止を陣痛間欠という。陣痛発作も陣痛といわれるが,これは上昇期,極期および下降期に分けられる。上昇期は40ないし30秒であって,分娩の進行とともに短くなる。極期は短時間であり,下降期は比較的長く,収縮持続時間は110~120秒である。分娩陣痛は時期により第1期(開口期)陣痛,第2期(娩出期)陣痛,第3期(後産期)陣痛に分けられる。また陣痛の強さは子宮内圧によって表現される。分娩陣痛による子宮内圧の上昇は40~50mmHgであり,分娩の経過に従い増加する。陣痛の異常値(過強陣痛および微弱陣痛)は表3に示した。分娩第2期の陣痛の強さが50mmHgと分娩第1期末と差がないのは,陣痛が強くなっても子宮口全開大により抵抗が減弱し,内圧が上昇したためと思われる。子宮内圧は内測法によって正確に計測されるが,現在臨床的には外測法が用いられているので,外測法により計測できる数値として陣痛周期,陣痛持続時間を用いる。陣痛周期とは陣痛の開始または極期から次の陣痛の開始または極期までをいい,子宮口開大により3分から2分と短くなる。陣痛持続時間は平均50秒である。表3における陣痛の異常値は,必ずしも分娩経過の異常を示すものではない。産道が広く軟産道の抵抗が少ない場合とか,胎児が小さい場合には微弱陣痛であっても分娩経過は順調のことが少なくない。1回の陣痛に要するエネルギーは2.8~3.4kcalであり,分娩に要する陣痛の回数はフライE.Freyによると,初産婦では平均113回,経産婦では66回であり,250回以上は異常であるとしている。

 なお最高陣痛数は分娩開始からの陣痛数を計測しなければならないので,松浦は産婦が陣痛発作時の疼痛(とうつう)をはっきりと表現するようになった陣痛を切迫陣痛と呼び,この切迫陣痛開始から胎児娩出までの時間である迫痛時間を取り上げた。初産婦の迫痛時間は平均4.5時間,経産婦は2時間であり,最長迫痛時間は初産婦12時間,経産婦8時間であった。初産婦では24時間,経産婦では16時間を超えると自然分娩は困難であるという。

成熟児の平均体重は3180g(男3220g,女3140g。1982),身長50cmである。正常分娩にあたっては,先進する児頭の大きさが重視される。児頭の横径として左右頭頂骨間距離の大横径,縦径として児頭の大泉門から項窩(こうか)までの小斜径が用いられる。大横径,小斜径の平均値は9.5cmでほぼ同じである。小斜径は胎勢が分娩に有利な屈位の場合の児頭の縦径と考えられる。胎勢が反屈位になると前後径(眉間と後頭結節間距離11cm),大斜径(おとがいと後頭結節間距離13cm)が問題になる。児頭の大きさはX線,超音波により計測される。胎児の胎勢と先進部の回旋が分娩経過に影響する。胎勢とは胎児の姿勢のことであるが,実際には胎児のおとがいとその胸壁の関係をいい,おとがいが胸壁についているのを屈位,離れているのを反屈位という。屈位のときには児頭の縦径が最短の小斜径となり,分娩に有利である。しかし児頭は球形に近いが,完全な球ではなく,また産道も後方へ凸湾の管であって,児頭はまっすぐに下降できず,下降に有利な方向に回旋して娩出される。

 胎盤は子宮後壁に付着しているものが43%と最も多く,前壁30%,右側17%,左側9%であり,また胎児は胎盤に向かい合うのが普通である(90%)。胎盤は正期産では重量450g,径15~20cm,表面積300cm2,厚さ2cmで,卵膜に覆われた胎児面と子宮壁に付着した母体面との間に絨毛群がある。胎児付属物としては胎盤のほかに臍帯(さいたい),卵膜,羊水などがある。臍帯には2本の臍動脈と1本の臍静脈が膠質(こうしつ)に包まれて存在し,長さ50cm,径1.5cmである。卵膜は羊膜と絨毛膜の2層からなり,子宮脱落膜はほとんど消失している。
臍帯 →胎盤 →羊水

現在出産はほとんど全部が施設内で行われており,自宅分娩は0.36%(1982)にすぎない。いずれにしても分娩開始の徴候を理解しておく必要がある。陣痛を10分おきに規則的に感ずるようになったら分娩開始である。後述するように,陣痛が始まってから平均値的には初産婦では12~16時間後,経産婦では5~8時間後に分娩となるが,個人差がある。もっと早い例もあるので,その点を頭に入れて準備する。血性粘液にも注意する。陣痛開始前または直後にかなりの出血があったり,羊水が漏出したら,直ちに入院すべきである。羊水の漏出と尿の漏れと区別できないという訴えがときにあるが,尿の場合には1回のみであり,羊水の場合には断続的に漏出する。しかし実際の診断は医師に任せるべきである。

(1)施設分娩 規則的な陣痛の開始,血性粘液の排出時には入院すべきである。入院時の携帯品としては,診察券,入院予約カード,保険証,母子手帳,肌着,腹帯などであり,施設によって指示があるから,それに従う。また無痛分娩を希望する場合には予約しておく必要がある。

(2)自宅分娩 産室としては明るく広い部屋が適当で,夜間の照明,冬季の暖房(19℃以上)を準備する。産床としては硬めの敷布団の下半分を防水布で覆い,足側を明るいほうに向ける。脱脂綿1kg,ガーゼ5m,座布団2枚,さしこみ便器,暖房用毛布,湯たんぽ,氷囊,懐中電灯,体温計,新生児入浴用ふろおけなどを用意する。なお自宅分娩をする場合にもあらかじめ産科医の診察を受け,突発的な異常に備えるべきである。

最終月経第1日から280日目に出産することは統計的事実であるが,実際に280日目に出産するのは数%にすぎない。分娩開始の前徴としては,子宮底が下がって上腹部が楽になり,胎動が減少し,尿意が頻繁におこる。不規則な前陣痛も腹緊または軽度の腹痛として感じられる。

陣痛周期が10分になるかあるいは陣痛が1時間に6回感じられた時を分娩開始としている。この陣痛によって軟産道が広げられる。そのために卵膜が子宮下部の子宮壁から剝離して,血液が混じった粘液が排出される。これを〈しるし(産徴)〉といい,分娩開始の徴候とすることもあるが,分娩の推進力である陣痛を分娩開始とするほうが妥当と思われる。

分娩の経過を分娩第1期,第2期および第3期の3期に分ける。分娩第1期は分娩準備の開始から軟産道が開大し,子宮口が全開大した時までを,第2期は子宮口全開大から胎児が娩出するまでを,第3期は後産期で胎盤娩出までをいう。分娩第1期の陣痛は子宮口を開大する。子宮口が開大するにつれて陣痛が増強し子宮内圧は40~45mmHgの上昇を示す。陣痛周期は10分から3ないし2分に短縮する。この第1期陣痛によって子宮下部の子宮壁から剝離した卵膜が,抵抗の弱い頸管内に袋状に進入する。これを胎胞といい,胎胞内の羊水を前羊水,胎胞から上部の羊水を後羊水という。陣痛が強くなり,子宮口が全開大に近づくと,胎胞の緊張が強くなり,ついには陣痛発作時に胎胞が破裂して羊水が流出する。これが破水である。破水は第1期の終りにおこることが多い。

 第2期になると,陣痛とともに腹圧が主役を演ずる。子宮口が全開大し,あるいはその少し前から児頭は産道内に進入してくる。陣痛周期は2分となり,陣痛の強さは50mmHgとなる。児頭が産道に深く進入すると反射的に腹圧が加わる。これが共圧陣痛である。共圧陣痛により児頭はますます下降し,骨盤底に達すると肛門を圧迫し,会陰が膨隆するとともに陰裂が口を開け,ついには陣痛発作時には児頭が陰裂の間に見えるようになる。しかし間欠時には児頭は後退して見えなくなる。これを排臨(はいりん)という。陣痛がさらに加わると,児頭は陰裂の間に陥入して間欠時にも後退しなくなる。これを発露(はつろ)という。ついで陣痛に加わった強い腹圧により児頭が娩出する。つづいて四肢とともに児の体幹が娩出される。これとともに後羊水が排出される。

 腹圧を子宮口全開大前に加えると,胎児とともに子宮全体が下降して胎児の娩出には役だたない。しかし子宮口が全開大した後,陣痛発作時に腹圧を加えると,この両者の協力により胎児を下降させる。陣痛がないときには子宮壁が弛緩しているので,腹圧が有効に作用しない。腹圧は子宮口全開大後の陣痛発作時に加えるのがこつである。子宮口全開大前,陣痛間欠時に腹圧を加えるのは,無効であり,疲労を招くばかりでなく,胎盤循環にも悪影響を及ぼす。

 新生児は,娩出後まもなく肺呼吸を開始し,第1声をあげる。新生児の臍帯は陰裂を通じて胎盤につながっていて,臍帯には拍動がふれるが,これは新生児の血流の拍動によるもので,まもなくふれなくなる。臍帯は両側を挟把または結紮(けつさつ)した後に切断する。

 分娩第3期には,児娩出につづいて平均1.2分後に第3期陣痛が2~3分間隔でおこる。胎盤は3~4回の陣痛により児娩出後平均6分で娩出される。分娩第1期,第2期にも軟産道の裂傷により出血するが,第3期には胎盤が子宮壁から剝離するので当然出血する。この分娩第3期の出血と出産後2時間の出血の合計を分娩時出血といい,平均250mlで,正常分娩のさいには500ml未満である。

 以上のような分娩過程を図式的に把握するために考案されたものが,子宮口の開大の経過を示すフリードマン曲線や分娩の進行経過の全体を示す分娩経過図partogramである。

分娩時の胎児の状態を知るためには,胎位,胎向および胎勢について述べなければならない。胎位とは骨盤軸と胎児軸との関係を示し,この両者が並行しているのを縦位,交差しているのを横位または斜位という。胎向は児背ないし児頭と母体の左右側との関係であり,児背または児頭が母体の左側にあるのを第1胎向,母体の右側にあるのを第2胎向という。胎勢とは胎児の姿勢のことで,前述した。

 分娩時に広狭の変化のある曲がった産道を,やや不整な球に近い児頭が通過するためには,児頭が回旋する必要がある。そこで正常分娩として最も多い第1前方後頭位における胎児の動き方について説明する。ここでいう第1とは第1胎向すなわち児背が母体の左側にあることで,前方とは先進部が母体の前方に回旋することを示し,後頭位とは後頭部すなわち小泉門が先進する頭位のことを示している。胎児が出産するまでに児頭は4回の回旋を行う。骨盤入口部は横楕円形であるので,これに一致するように縦にやや長い児頭を縦に走る矢状縫合が横になり,児の後頭部は母体の左側に児の顔面は母体の右側に向く。分娩陣痛により児は第1回旋を営む。第1回旋は,児頭が骨盤入口部から骨盤底に下降するまでに,抵抗を受けて児のおとがいが胸につき,後頭部すなわち小泉門が先進して屈位となる。これを第1胎勢回旋ともいう。骨盤入口部より広い闊部に児頭が下降すると,先進した児の後頭部が前方に回旋し,矢状縫合は骨盤第1斜径を経て縦径に一致するようになる。これを第2回旋(第1胎向回旋)という。次いで児頭が骨盤峡部から出口部に進入すると,児後頭部が恥骨弓下縁に支えられてこれを軸として回旋し,母体会陰のほうから児前頭部が現れ,児頭が娩出される。これを第3回旋といい,児のおとがいが胸から離れて反屈位になるので,第2胎勢回旋という。このときは児の顔面は母の後方を向いており,児の横に長い肩幅が母体骨盤入口部の横径に一致している。この児の肩が闊部から峡部に下降する場合には児頭と同様に回旋するので,これに伴って娩出した児頭も回旋して母体の右側大腿内面と対面するようになる。これを第4回旋(第2胎向回旋)という。これが第1前方後頭位の場合の児頭回旋である。

 次いで胎盤が剝離,娩出する。子宮腔が胎児娩出により急に縮小するために胎盤付着面にずれを生じ,また胎盤を子宮壁に圧迫していた卵膜腔がなくなり,さらに子宮収縮により子宮壁が退縮して胎盤が剝離し,後産期陣痛とともに,軽度の腹圧により胎盤が娩出される。その際,胎盤の胎児面から娩出するのをシュルツェ様式,母体面から娩出するのをダンカン様式というが,胎盤辺縁が先に出て卵膜面,母体面ともにみられる混合型もある。胎盤付着面の絨毛膜腔は母体血管から流出した血液に満たされているので,胎盤が剝離すると母体血管からの出血が止まらなくなるはずである。しかし,この母体血管はらせん走行をとり,またその周囲には子宮筋がまといついているので,強い子宮収縮により血管が圧迫されて止血する。

初産婦では平均12~16時間,経産婦では5~8時間と初産婦の半分である。初産婦では30時間以上,経産婦では15時間以上が異常で,分娩遷延という。筆者らの統計では,初産婦の平均分娩時間13時間30分,経産婦6時間30分である。初産の分娩第1期は平均10時間,第2期30分,第3期7分,経産の分娩第1期は5時間15分,第2期15分,第3期7分である。なお分娩第2期は初産婦2時間以上,経産婦1時間以上,分娩第3期30分以上は異常である。また新生児に影響が大きいと思われる下降娩出期,すなわち児頭が下降を開始してから娩出するまでの時間は初産婦では平均2時間,経産婦では1時間であり,4時間以上を要すると新生児に異常をおこしやすくなる。

分娩は,初産婦では平均2000kcal,経産婦では平均800kcalを要する相当激しい運動である。分娩中母体の体温は0.1~0.2℃上昇し,呼吸数も娩出期に入ると増加する。循環系にも影響がみられ,脈拍数が増加し,血圧は陣痛によって多少増加する程度であるが,分娩第2期に入り腹圧が加わると血圧は10~30mmHg上昇し,ときには50mmHg以上上昇する。赤血球,白血球も多少増加するが,これは発汗による濃縮とも考えられる。また分娩第2期に入って児頭が産道内に下降すると,膀胱や尿道を圧迫し,排尿が困難になることもあり,軽度の血尿も認められる。尿量は分娩末期には発汗により減少する。

分娩によって胎児の受ける影響はきわめて大きい。とくに出産した瞬間から自己の肺呼吸を開始し確立させねばならないことは児にとって一生の最大の試練であるといえよう。妊娠末期に子宮内において呼吸様運動を胎児は行っているが,分娩によって肺を拡張し,空気を出入させる呼吸運動を行うようになるのは,分娩中の児の血中酸素不足,炭酸ガス過剰,胸郭圧迫などにより呼吸中枢が刺激されるためとされるが,なお不明な点が多い。陣痛による影響としては,胎児心拍数の変化があげられる。胎児または胎盤機能が正常な場合には,陣痛によってときに軽度の一過性頻脈や一過性徐脈がみられる。分娩末期には陣痛が児頭を圧迫し,一過性徐脈をおこす。これは迷走神経刺激によると考えられている。

 児頭の頭蓋骨は縫合によりゆるく結合しているために,比較的狭い産道を通過する際に児頭の左右頭頂骨は多少重なり合い,圧を強く受ける側が圧の弱い側の下に入り,児頭は長軸方向に延長される。児頭は陣痛により圧迫されるが,破水後は児頭先進部は大気圧を受けるのみで,子宮内にある胎児部分に比べて陰圧となるので,児頭先進部に鬱血(うつけつ)をきたし産瘤(さんりゆう)を形成する。産瘤は分娩後24時間~36時間で消失する。ときに頭蓋骨と骨膜との間に血腫(頭血腫)をつくったり,頭蓋内に出血することもある。

分娩の異常とは,分娩の3要素のいずれか一つまたは二つ以上の異常によって,分娩が障害されることをいうが,その全般については〈異常分娩〉の項目にゆずり,ここではそのうちの産道の異常,損傷にしぼって記述したい。

産道の異常には軟産道の異常と骨産道の異常とがある。子宮頸管を中心とする軟産道は妊娠中の生化学的物理的変化により軟化し,分娩時に容易に開大する。しかし高年初産婦など,頸管が軟化せず分娩第1期が遷延する場合を軟産道強靱という。軟化の促進にはプロスタグランジン,エストリオールが用いられる。子宮頸管は妊娠中は閉鎖して胎児を子宮内に保持しているが,ときに妊娠中期に陣痛を感ずることなく子宮口が開大して早産になることがあり,これを頸管無力症という。この早産を予防するにはシロッカー法,マクドナルド法による頸管縫縮術を行う。なお,骨産道の異常については〈狭骨盤〉の項目を参照のこと。

骨産道の損傷と軟産道の裂傷とがある。(1)骨産道の損傷として恥骨結合の離開,仙骨の骨折,仙腸関節の離開などがある。損傷部の疼痛,骨折部の血腫などがおこり,離開部位の安定を必要とする。(2)軟産道のうち子宮下部および頸管の裂傷は出血が多く,縫合を要する。会陰の裂傷は4度に区別される。第1度は会陰,腟の表層組織の裂傷。第2度は会陰および腟の筋層が損傷されるが,肛門括約筋が健在するもの。第3度は肛門括約筋,直腸腟中隔の損傷されているもの。第4度は肛門および直腸粘膜に損傷のあるものをいう。縫合により治癒するが,感染すると糞瘻(ふんろう)を形成することがある。以上のような会陰裂傷を生じさせないようにする処置として会陰保護法がある。この介助法は児頭の会陰通過をなるべくゆっくり行わせ,さらに児頭の第3回旋を適切に行わせるものである。しかし,そのために分娩を遷延させ児頭に対する圧迫を助長することがあり,さらに自然の会陰裂傷は不整でその瘢痕(はんこん)は不良なので,会陰切開を加えることが多い。

分娩時の母体の体位が最近問題になっている。日本ではかつて座産が一般に行われていたが,欧米の産科学の導入とともに仰臥位で分娩が行われるようになった。座産から仰臥位分娩に移行したのは,分娩介助に便利なためと思われる。しかし,1979年バルシアCaldeyro Barciaが座産の利点について発表し,座産は重力を利用したもので,陣痛が有効に作用し,分娩時間も短縮され,出血も少ないとした。現在の座産では特製の可動性の分娩台が使用されているが,将来は分娩介助に便利な座産により適した分娩台の考案が望まれる。

日本では男性は出産に立ち会うべきでないと一般に考えられてきたが,最近欧米の影響を受けて産婦とともに出産を体験し,出生の喜びをともにしようとして,夫が出産に立ち会うことがいわれるようになり,実際に夫が出産に立ち会う例がでてきた。夫が出産に立ち会うことには,信頼する夫と出産をともに経験し喜びを分かち合えるという妻の心理的利点があるけれども,一方,感染の危険のみならず,医療側の夫に対する遠慮,依頼心などから,分娩監視が不十分になる心配がある。夫にも出産に関する知識を十分に与える必要がある。そのため立ち会うなら分娩の経験のある産婦の母または姉妹のほうが望ましい。

出産直後,新生児を母に抱かせることが母児間の接触を緊密にするために必要であるといわれている。母となった産婦に新生児を見せ抱かせることは望ましい。しかし,これにより新生児に母を認識させることができるといわれるが,認識には経験を必要とするので,出産直後の新生児が母を母として認識できるはずもない。

妊婦水泳は推奨され,都会では盛んに行われている。水泳に限らず妊婦体操も妊婦の腰痛の消失,ストレスの解消など好影響を与えることが多い。しかし,妊婦体操・水泳により子宮収縮が増強されることがある。多くは30分の休息により子宮収縮が消失するが,収縮が消失しないかあるいは増強する場合には早産の危険性がある。したがって,これらは医師の監視下に行うべきである。
妊娠
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未開社会や伝統的社会においては,妊娠と出産は当の女性だけではなく周囲の人々にとっても重大事であり,また衛生環境の悪さや医術の未発達から妊産婦や新生児が死亡することも多く,人生の重大でかつ危機的な節目とみなされている。そのため,夫のふるまいや妊婦の食物に関するタブーあるいは安産のための儀礼など,出産をめぐる呪術(じゆじゆつ)的な信仰が多くの社会に見られる。性交と妊娠との因果関係は認識されてはいるものの,その間には超自然的な力が働くと信じている社会が多い。夫と妻の生まれてくる子どもに対する関係は,夫も妻も〈子の種〉を持っていると考える社会もあれば,夫は子の骨を,妻は子の血と肉とを形成することに貢献すると考えるなどさまざまである。したがって不妊や流産,死産の原因にもなんらかの超自然的力が働いていると考えることが多く,妊娠祈願の儀礼も多くの社会で見られる。出産はめでたいこと,望ましいことであると同時に,日常性とはかけ離れた異常なできごとであり,産屋(うぶや)(産む場所)を設けてそこで出産前後を過ごしたり,特別な空間で出産させ,外部の人間,とくに男性は近づくことをタブーとするなどの習慣が見られる。また出産は月経と同様に不浄性をもつとされて,産後,日常生活に戻る前になんらかの浄化儀礼を義務づけていることも多い。出産方法は寝産や座産のほかに,アマゾン流域の住民に見られるような木にぶらさがって立った姿勢からのものもある。また寝台の下で火を燃やしたり,炉の横に寝かせて盛んに火で産婦を熱するなど奇習と思われるような習慣も見いだせるが,その社会の人々の生命観や信念体系の中に位置づけるならば,それぞれ固有の意味を担っている。
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妊婦の形象化と見られるローセルやウィレンドルフ出土の〈ビーナス像〉をはじめ,オリエントやギリシア・ローマの神話における数々の地母神など,出産を大地の豊饒と類比的に結びつける観念は古くからあった。出産は単に人生の重要事であるにとどまらず,豊饒祈願ひいては世界の更新というコスモロジックな儀礼的意味を有していた。そのような出産イメージの最もみごとな表現を,われわれはM.バフチンによって解読されたF.ラブレーの文学のなかに認めることができよう。妊婦をとりまく人間関係が変化し,共同体の独自の象徴体系が見失われつつあるにもかかわらず,西洋の伝統的社会における信仰や習俗にも,このような出産観が反映している。以下その一端を,主としてフランスの事例によりながら紹介する。

 まず子宝を授かるための種々の祈願が,結婚式でまかれる米粒や祝宴に妊婦を招くなどの形,あるいは聖母マリアや聖女アンナなどへの祈りと巡礼によって広く行われた。望む性の子を得るための食物のタブー,妊婦のしぐさから子の性別や容姿を占う法,五体満足な子を産むための妊婦の行動の規制がこれに続く。胎児に対する天体,とりわけ月の影響力への配慮と,名付け親の選定にはとくに意が用いられた。安産を願ってマリア,アンナ,マルグリットなどの聖画や小像が妊婦のかたわらに置かれ,祈禱文,〈出産袋(サシェ・ダクシュモン)〉,一定の長さの絹帯がお守りとされた。注目すべきは出産に際しての夫の立会いがまれではなかったことで,妻を支えて分娩を助けたり,新生児を脱いだばかりのシャツでくるむなどの習俗,さらには一部には擬娩の慣行も見られた。出産場所は自宅が普通で,体位は座産が多く,ときには立ったままで行われた。後産やへその緒の処理にもさまざまの習俗があり,特定の木の根元に埋めて子と木の成長をともに願ったり,緒をお守りとして衣服に縫い込んだ。子の誕生は洗礼を受けるまでは完了しない。したがって,難産のとき体の一部が出たらすぐに洗礼を行うよう産婆が勧めたほど重要なもので,とにかく早くすませることが望まれた。その日取り,時間,洗礼の行列の次第,名付け親や司祭の行動などにも多くのタブーや注意すべき事柄が伝承されている。
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出産は人の一生の中で,その死とともに通過しなければならない一つの危機としてとらえられてきた。それは人が一生の間に経験する通過儀礼の第1の関門であり,出産の儀礼は霊界から人間界へ生児を引き移す承認を意味していた。生は死と同じく穢(けがれ)と考えられ,産の忌は地方によってアカビ,チイミ,チボクなどといって神に対する慎みとして厳しく守られねばならなかった。出産に伴う儀礼は,そのヒアケまで産の忌の観念で貫かれている。出産は一身一家のことだけでなく,部落全体の関心事でもあった。帯祝は妊娠の社会的な承認であり,食物や行為の禁忌もこのころから始まる。無事に安産できるように,じょうぶに育つようにという安産子育ての祈願は,医学の発達した現代でも全国的に行われている。出産の習俗の中で最も大きく変わったものは産屋である。現在の産院となるまでには,産小屋,下屋(げや),ニワ,ナンドなどの長い歴史がある。産室に臨んで分娩を助け,母と子を守ってくれる神を産神(うぶがみ)という。一般に神は産の忌の間は避けるものであったが,産神だけは特別で,産に立ち会って産婦と生児を守り,生児の運命までもつかさどる神と信じられている。出産に際して産神を迎えにいくという土地もあった。産婆(助産婦)を地方によってヒキアゲババトリアゲババなどというのは,生児をこの世の中へ引き上げて人間の仲間に加えるという信仰的呪術的役割をもつものであったことを示している。分娩の方法は今では仰臥産であるが,大正初年ころまでは座産が一般であった。後産(あとざん)(えな)は生児の分身と考えられ,その始末法によって生児の将来に影響があると信じられていた。カニババは胎便のことで,カニクソ,カニコなどともいう。生後2~3日の間に排出される黒い便であるが,以前はこの間は授乳せず,マクリ,フキなど草木の根を煎じて飲ませるのが一般の慣習であった。出産に伴う儀礼は初宮参りまでに集中しているが,七夜の祝いはたいせつなものの一つである。この日,名付けとともに初外出として,関東・中部地方では雪隠(せつちん)参りといって,厠神に参る風がある。生児の生命がきわめて不安定な状態にある期間は,出生後から初誕生までの1年間と考えられ,この間に最も多くの呪術的儀礼が集中している。神々の加護によって,生児をおびやかす邪霊を払おうとしたのであろう。
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出産は妻の親庭(実家)ですることもあるが,婚家ですることが多い。内房(主婦の居室)の床にわらを敷き,産婦は黒いチマを着て産にそなえる。介添えはしゅうとめか経験の豊かなおばあさんにたのむ。産室には〈サムシン床〉(産神)を設け,わらを敷いた上に膳をすえて,飯とワカメスープを3杯ずつ供える。産婦が出産後初めてとる食事はこれを下げてつくる。へその緒ははさみ(昔は鎌)で切り,紙かわらに包んでおいて3日目に火で焼く。小さなつぼに入れて埋めたり,川に流す地方もある。後産も火で焼く。出産するとすぐ,家の大門や産室,台所の入口などに禁索を張る。これは左よりのしめ縄で,これに男児の場合はトウガラシ,炭,わらを挟み,女児の場合は炭,紙,松葉,わらを挟む。禁索は7日,21日(三七日)または49日の間かけておくが,この間外部の人の出入りは禁じられ,また産屋から物を持ち出すことも禁じられる。産後3日目に産婦はヨモギを入れた水で身を洗い,また新生児にも初めて沐浴(もくよく)させる。生後7日目におむつを脱いで襟のない着物を着せ,14日目には襟のある着物を着せる。上下に分かれた着物を着せるのは21日目からである。禁索がとられ,産室が開放されて初めて親戚や近隣の人々がお祝いにくる。
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中国における出産にまつわる習俗は古くより諸文献に散在するが,長い歴史と広大な地域をもつ中国ゆえ,一概にそれらを体系づけることは難しい。以下においては解放前の中国における諸調査をもとに特徴的な事がらをとりあげる。

妊娠を願う中国の各種の俗信は,多くの場合,男の子を得ることを前提として行われる。最もよく知られている妊娠祈願は,子授けの神をまつる(びよう)にもうで,神前の人形,小型のくつ,花かんざし,菓子などをもらい受け,子どもが生まれたらその数を倍にして返納する習俗である。このほか,上元の夜にちょうちんの下をくぐったり,月光を浴びると,男の子をはらむといい,また養子を迎えると,その子がつぎに弟を招くという。妊婦の居間あるいは屋内の諸器具には産の神がやどり,もしもあやまって器具を動かしたり,釘を打ったりすると,そのたたりにふれて流産あるいは難産するか,または奇形児が生まれると考えられている。もしも必要があって屋内の器具を動かすときには,ほうきで産の神を掃きのけるか,たたりを封ずるための呪符をはったりする。

出産のために家を貸せば,生まれた子がその家の幸運を持ち去るといってきらう。したがって実家に帰って分娩する風はみられない。産室をつくる習慣も一般的ではない。多くは日常の寝室がそのまま産室となる。夫はこれを避けて他の部屋に移る。出入口なども平常とかわらない。産期を迎えてもなお出産しないときには,産を早めるため親類などが集まって,産婦の住む家と道を隔てて向い側の家に産婦の家の人々を招待してごちそうする。これは産児に適当な通路をつくってやれば早く生まれるという意味である。また出産の月に入ると,実家から〈催生礼〉という贈物をして,無事に出産することを祈る。催生礼は食料品と生まれる子どものための布団,むつき,衣類などで,妊婦の生母がみずから持参する。婿方ではこれを十分歓待し,なかには里の親が数日間にわたって滞在することもある。

 分娩のときに産室に入るものは,産婆のほかに,しゅうとめ,あるいはときによっては実家の母親が加わることもある。とくに初産のときは陣痛を催すと同時に使いのものが実家に知らせる。すると実家の母親は婿方を訪れて娘の出産の世話をする。産婆は門口に〈某氏収洗〉あるいは〈接生〉などと書いた看板をかけ,その下に赤い布をたらす。しかし一般には親類あるいは近隣の経験ある老婦人に依頼するか,産婦みずからが処置する。地方によっては巫女が取上婆をかねることもあった。分娩時に余分な人間が加わったり,他人がのぞいたりすると難産になるという観念は,一般に広くみられる。

 陣痛が起こると神仏に産の軽いように祈る。東南アジアなどで一般的にみられるいわゆる産婦の火は,中国の一部においてもみられる。たとえば華南地方では産室の入口でこんろに火をおこし,その上に塩と米をふりまき,破れた雨傘を焼いて悪霊を防ぐ。閉鎖した道具を開いたり,父親が杵で産室の近くの地面をたたいて,産気を早めるまじないをする。難産のときは道士をよんで祈禱(きとう)を行う。

 出産体位にはさまざまな名称がつけられており,それにかかわる俗説がある。足位出産を〈踏花生〉〈倒踏蓮花(とうとうれんか)〉などといい,このときは産児の足の裏になべ墨で点をつけると,姿勢を正して出なおしてくるなどという。えなを首にまとって生まれた子は,〈掛数珠(かけじゆず)〉などと呼び,その種類によって,あるいは将来出世するといい,あるいはまたこじきになるともいう。生児が胎生時の栄養障害からくる発育異常により,歯をもって生まれてくることがある。これは後に両親をかみ殺すといって忌む。双胎児あるいは多胎児に関する俗信は地方によって異なる。あるいは吉祥とし,あるいは不吉とする。かつて広東地方などでは,1男1女の双胎児は夫婦にすることがあった。異性の双胎児はすでに前世において夫婦の契りをなして生まれてきたものと考えるからである。

生児が人間としての存在を認められる第1の儀式は,出産第3日目の〈三朝(さんちよう)〉である。このとき子どもの生まれたことが正式に神仏に報告され,また一般の親族や知友に知らされる。生児はこの日母乳と産衣(うぶぎ)を与えられることによって,徐々に人間の世界に入ることを許される。子どもの守神に供えた食物を産婦,取上婆,外祖母などが共食するほか,人を招いて祝の宴を催す。また〈添盆〉といって,子どもにヨモギあるいはその他の植物の葉を入れた湯をつかわせ,集まった客はたらいの中にお祝として銭その他を競って投げ入れる。産湯をすませてはじめて産衣を着せられた子どもは祖母に抱かれて祖先や家神を拝み,さらに来客に披露される。終わってはかりの分銅や父親のくつを子どもの胸の上においたり,はかりにかけたりする地方が多い。分銅は将来大胆になりものおじしないように,あるいはまた人物に重みができるようにとのまじないだという。また初乳を与える前に,子どもの将来の良縁を願って,男の子なら女の子を出産した,また女の子なら男の子を出産した他の女から,乳をもらって飲ませる。地方によっては乳をくれるその女の子どもと,乳をもらう子どもとは乳兄弟の関係を生ずる。産衣はすその縁をくけないことが多い。早く成長するようにというまじないである。一部では産衣を着せる前に,あらかじめイヌに着せた後に子どもに着せる。胎髪をそる日は生後3日,12日のほか50日目などと一定しないが,多くは1ヵ月目にそる。胎髪は保存される場合が多い。

産の忌

産褥(さんじよく)期間は生後満1ヵ月の祝いを行う〈満月〉までの1ヵ月間である。この間,産婦は家人から隔てられ,産室にとじこもる。産室および産婦は不浄と考えられている。もしも産室に入ったものは,〈満月〉のときまで玉皇大帝(天帝)を拝むことができない。また,男は分娩後3日以内に,女子は1ヵ月以内の間に産室に入ると,満1ヵ月の忌があけるまで廟へ参ることを忌む。産婦は〈満月〉まで家人と食事を別にするが,それを調理するとき別火の風はみられない。命名は生後3日目あるいは12日などと一定しないが,多くは〈満月〉までの1ヵ月の間につける。流産は妊娠中に産の神のたたりにふれたためだと考えられている。赤子殺しは生後3日目の〈三朝〉までに行われた。赤子殺しを〈溺女(できじよ)〉というが,分娩直後に産児の頭を尿おけの中に浸しておぼれ死させた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「出産」の意味・わかりやすい解説

出産
しゅっさん
parturition
delivery

出産とは子どもを産むことで、医学的には、妊娠中の母体の子宮内で一定期間、発育してきた胎児および付属物(臍帯(さいたい)、胎盤、卵膜、羊水)を陣痛と腹圧による娩出(べんしゅつ)力で外界に排出する現象をいい、分娩とよぶ。分娩中の女性が産婦であり、初めて分娩するものを初産婦、すでに分娩の経験をもつものを経産婦という。また、19歳以下の初産婦を若年初産婦、35歳以上の初産婦を高年初産婦とよび、5回以上の経産婦を多産婦という。なお、世界保健機関(WHO)では35歳以上の初妊婦を高年初妊婦としている。

[新井正夫]

分類

分娩にはいろいろな種類がある。在胎週数による分類では、37週から42週未満までの分娩を正期産、36週以前の分娩を早産、42週以後の分娩を過期産に分け、早産はさらに22週から36週までの分娩を狭義の早産、22週未満の分娩を流産とよんでいる。分娩経過の分類では、経過が順調で母児ともに健全なものを正常分娩といい、経過が異常で母児の危険を伴うものを異常分娩とよぶ。一般に分娩の三大要素として、骨産道と軟産道とからなる産道、陣痛と腹圧とからなる娩出力、胎児およびその付属物の三つがあげられているが、これらのうちのいずれかに異常があれば分娩の進行が妨げられて異常分娩となる。人工介助の有無からは自然分娩と人工分娩に分ける。また、胎児数によって、一つの場合を単胎分娩、二つ以上の場合を多胎分娩とよび、多胎分娩はその数に応じて双胎分娩や品胎(三胎)分娩などという。新生児の生死によっても、生産と死産に分ける。

 なお、俗に安産というのは正常分娩で自然分娩の場合をさしており、異常分娩は難産とよばれる。ここでは正常分娩を中心に述べる。

[新井正夫]

出産経過

分娩は規則正しい子宮の収縮、すなわち分娩陣痛(約10分間隔)をもって始まり、閉鎖している子宮頸管(けいかん)の開大を経て、まず胎児、ついで胎盤の娩出をもって終了する。これを分娩第1期(開口期)、分娩第2期(娩出期)、分娩第3期(後産(こうざん)期)に分ける。

(1)開口期 子宮頸管および子宮口が開大する時期で、まず規則正しく子宮の収縮(陣痛)がみられる。これが開口陣痛で、最初は発作が約15秒、間欠が約20分間くらいである。これによって子宮下部(子宮峡部に相当する部分)から子宮頸管にかけて組織が伸展し、子宮口が開大されるとともに卵膜の一部が子宮壁から剥離(はくり)され、そのために血液の混じった粘液(血性帯下(けっせいたいげ))が出てくる。これが出産開始で、俗に「しるし」があったといわれる産徴である。この剥離した卵膜と、胎児の児頭すなわち先進部との間には羊水が陣痛発作のたびに圧入されて増量し、胞状を呈する。これを胎胞といい、これが児頭のかわりに産道に突入し、子宮口を開大していく。この状態は、細長いゴム風船を膨らませるとき、先端部がまず膨らみ、それがだんだん口元のほうに進行しながらゴム風船が膨らんでいくありさまに似ている。陣痛発作はますます強く、しかも長くなり、間欠が短くなってくると、胎胞も大きくなるとともに産道となる部分が開大してきて、ついには卵膜が破れて胎胞内の羊水(前羊水)が流出する。これを破水といい、普通は子宮口が完全に開いて(全開大)子宮頸管と子宮体部との区別がつかず、子宮腟(ちつ)部がほとんど消失展退したときであって、ここまでの経過を分娩第1期とよんでいる。なお子宮頸管が堅くて開大しにくい場合には、それを柔軟にして開大しやすくする薬剤が使われる。

(2)娩出期 破水および子宮口の全開大後、胎児を娩出するまでの期間で、分娩陣痛はもっとも強く、腹圧(いきみ)も加わるので、この娩出陣痛は共圧陣痛ともよばれる。胎児の体のうちもっとも先に進んでいる部分、すなわち先進部(正常分娩では頭部)は骨盤腔(こつばんくう)内に深く下降しており、破水後は直接産道を開大していくために、腹圧が無意識に加わる。すなわち、いきむようになって胎児の娩出が促進される。やがて陣痛発作時に外部からも陰裂の間に先進部の一部が見え、間欠時には後退して隠れてしまうようになる。この状態を排臨という。これを数回繰り返すうちに先進部の現れ方がしだいに大きくなり、ついには陣痛間欠時にも陰裂外に露出したままとなる。これを発露という。正常分娩では、このようにしてまず児頭が娩出され、続いて左右の肩が前後して現れ、躯幹(くかん)および四肢が娩出されるとともに、多少の血液を混じた後羊水(こうようすい)が流出する。ここまでが分娩第2期で、後羊水が流出してしまうと産婦は急に楽になり、陣痛もしばらく間欠する。

(3)後産期 胎児の娩出完了後、胎盤を卵膜および臍帯とともに娩出するまでの時期で、休止していた分娩陣痛が胎児娩出後、約10~15分経過すると新たに発現する。これを後産陣痛といい、娩出期より発作が短く、間欠は長い。また、痛みは軽い。これによって胎盤の娩出が進行する。すなわち、胎児娩出の直後は臍帯中の血管にはまだ拍動があるが、やがて血行が停止する。そのころに子宮はふたたび収縮を始めるが、胎児のいなくなった子宮では内圧が急に減少して収縮の度合いが強く、陣痛発作とともに胎盤付着部の子宮壁が強く縮小すると、胎盤の縮小との間にずれを生じて接面が移動し、脱落膜に断裂をおこして胎盤が剥離するようになるわけである。このとき、後産出血といって胎盤剥離面からの出血があり、胎盤と卵膜が臍帯とともにやがて娩出されると、いちじに多量の血液が排出されるが、これは大部分が凝血である。これをもって出産は完了したことになるが、分娩直後は分娩第4期ともよばれるほど分娩と同じような注意深い観察が必要とされる。すなわち、分娩終了後2~6時間は会陰(えいん)縫合や新生児の沐浴(もくよく)などの処置もあり、弛緩(しかん)出血、頸管裂傷、子宮内反症などによる大出血の危険性があるので、産婦および介助者は十分に用心する必要がある。

 なお、分娩所要時間を各期ごとにみると、開口期がもっとも長く、初産婦で10~12時間かかるが、経産婦では4~6時間である。娩出期は初産婦で2~3時間、経産婦で1時間から1時間半、後産期は短時間に終わり、初産婦でも15分から30分、経産婦で10~20分である。全期間を通じてみると、初産婦では12~15時間かかり、経産婦の場合は約半分の5~8時間で終わる。

[新井正夫]

出産の異常

出産は自然の生理であり、母体が健康で胎児の発育が順調であれば安産が十分に期待できる。すなわち、妊娠中の定期検診で予知できるものは出産前に処置されたり準備されるし、分娩経過中に発見されるものでも、設備の整った産院や病院、経験豊富な産婦人科医が付き添う限り、心配はほとんどないといえる。

 母体側に異常のあるものとしては狭骨盤や微弱陣痛などがある。微弱陣痛というのは陣痛発作が短くて弱く、間隔も切迫してこない場合をいい、出産が長引いて2日も3日もかかることがあるので母体が極度に疲労し、鉗子分娩(かんしぶんべん)や帝王切開を必要とすることがある。しかし、陣痛促進剤(下垂体後葉製剤など)の注射、その他の処置で自然分娩が行われることも多いので産婦の気持ちを動揺させないことが望まれる。

 胎児側に異常のあるものとしては骨盤位(さかご)をはじめ、常位胎盤早期剥離や前置胎盤などがあり、さらに新生児の窒息仮死や分娩損傷などがあげられる。常位胎盤早期剥離は胎児が娩出される前に胎盤がはがれるもので、大出血のために産婦が死亡することがある。高年期の産婦や経産婦に多く、手術可能な病院での早急な対処が必要である。

[新井正夫]

出産中の胎児

狭い産道をくぐり抜けて娩出される胎児には、児頭が形を変えたり回旋したりする適応機能がみられる。胎児の頭蓋(とうがい)はまだ薄くて骨と骨の継ぎ目である縫合(ほうごう)も固まらずに柔らかい組織でつながっている。このために骨盤中をくぐり抜けるときには、頭蓋骨がゆがんだり縫合部で重なり合ったりして、頭蓋全体が細長く、普通は後頭部が突出した形になって通過しやすくなる。これを児頭の応形機能とよんでいる。また骨産道は、長円形の管をねじりながら途中で前方に曲げたような形の切り口をしている。児頭はこれに対して横幅より前後径が長く、骨産道を通過するには頸部を軸にして頭を回旋させながら進み、骨盤に入るときにはあごを胸につけ、出るときには逆に頭を反らせながら生まれてくる。この順序は決まっており、児頭回旋という。

[新井正夫]

出産直後の新生児

全身紫色に似た肌で生まれるが、正常分娩では何秒かののちに産声(うぶごえ)を発し、大声で泣き出すとともに肌が赤くなってくる。まず、細いゴム管で鼻や口、気管内の吸引を行い、臍帯を新生児側から2~3センチメートルのところを糸で結び、胎盤側で切断する。次に産湯を使って、新生児に付着している血液や胎脂などを洗い落とし、着衣させる。

[新井正夫]

出産への備え

出産の準備用品などは妊娠末期に用意しておくが、入院する病院や産院の指示に従うのがよい。とくに夜間入院するときを考慮して、入院用の車の手配なども準備しておくことが望ましい。分娩に対する不安や恐怖をなくすためにも、分娩についての正しい知識と心構えをある程度もつことが必要で、精神的な無痛分娩のためばかりでなく、産婦自身が落ち着いた態度で出産するためにも役だつ。

 次に出産に臨んだら、医師や助産師らの介助者の指示に従うようにする。長時間にわたる開口期は楽な気持ちで過ごし、次の娩出期に十分ないきみができるように力を蓄えてゆっくり待つのがよい。娩出期には両手で何かを握り、陣痛発作のたびに三息ほど深く息を吸って止め、思いきりいきむようにする。間欠時にいきんでも効果はなく、かえって疲れるだけで、本当のいきみが必要なときに十分にいきむことができなくなる。また、児頭が発露しだしたら陣痛発作時でもいきまないなど、いきむタイミングについては介助者が適宜指示してくれる。普通は開口期段階には病室または控室で過ごし、娩出期になって分娩室の分娩台に移される。なお、いきみ方や楽な姿勢で休む方法などについては、妊娠中に病院などで指導がある。

 出産後14日以内に出生地などの市区町村役場へ提出する出生届(しゅっしょうとどけ)には、出生証明書を添付することになっている。出生証明書は、医師または助産師が自ら出産に立ち会った場合にその出生児に対する医学的判断を証明するために作成する文書であるが、出生届には出生証明の欄がある。病院にも出生届用紙が備えてあるので、母子健康手帳に印鑑を添えて出すと、出生証明の欄と母子健康手帳にそれぞれ必要事項を記入してくれる。

[新井正夫]

出産と健康保険

健康保険は出産にも適用されるが、正常分娩は病気ではないので出産育児一時金という形で給付され、病気扱いになるのは異常分娩の場合に限られる。したがって、正常分娩か異常分娩かの判定は相当に厳密である。

 なお、被保険者もしくはその配偶者が分娩した場合、出産育児一時金として政令で定める額(2024年3月現在、産科医療補償制度対象分娩の場合は50万円、同制度に加入していない医療機関等で分娩の場合は48万8000円)が支給される。

[新井正夫]

出産の動向

近年は産科方面にもMEの導入が行われ、産科学は飛躍的に進歩してきた。胎児の心音や心電図の分析、また超音波断層法による胎芽の存在、着床部位や胎盤の位置の認知をはじめ、ドップラー法による胎児心血流の証明などは日常の診断に活用されている。超音波断層法とドップラー法を併用すれば、妊娠10週で胎児の存在と生死を確認できる。さらに分娩に際しては、母体側と胎児側からのいろいろな情報をコンピュータによって的確・迅速に把握、処理して、必要な指示の得られるような分娩監視装置もある。超音波を利用した装置で、母体の子宮収縮圧(陣痛)、胎児の心拍数、胎動を把握することができ、診断・治療に役立つ。とくに異常分娩や胎児仮死の可能性がある場合にはきわめて有効である。分娩時以外にも、検査のために用いることがある。

[新井正夫]

出産に関する習俗

出産は人の一生のなかで、その死とともに、通過しなければならない一つの危機としてとらえられてきた。それは「産の忌み」という神に対する慎みの観念によっている。また出産は一身一家だけではなく、村全体の関心事でもあった。妊婦は帯祝いのころから忌みの生活に入るのであるが、いよいよ出産というときは、出血という血のケガレを伴うので、一段と忌みの観念が強まった。産の忌みは地方によって、チボクとかチイミ、アカビなどいろいろな呼び方がある。これは死の忌みのシボク、クロビなどに対応する。アカビ、サンビなどのヒは火であって、火がもっともケガレを受けやすいと考えられ、産婦の煮炊きの火は、母屋の火とは別火(べっか)として避けねばならなかった。

[大藤ゆき]

産屋(うぶや)

このため母屋(おもや)とは別棟の産小屋を、各戸または集落共同に設けたり、下屋(げや)やニワ(土間)に設けたり、ナンドとかヘヤといわれる寝室が産所に使われた。出産の習俗のなかでいちばん大きく変わったものはウブヤ(産む場所)で、現在の産院となるまでには長い歴史があった。

[大藤ゆき]

産神

産室に臨んで出産を助け守ってくれる神をウブサマ、ウブガミなどとよぶ。一般に神は産の忌みの間は避けねばならぬものであったが、産神だけは特別で、産に立ち会い、産婦と生児を守り、生児の運命までもつかさどる神として信じられている。産神といわれる神は土地によって異なるが、山の神、箒(ほうき)の神、便所神、道祖神、しゃもじ神などがある。産神は神像はないが、そこにおられるものとして、出産が終わるとすぐにウブメシ(白いご飯)を炊き、茶碗(ちゃわん)に山盛りにして、床の間や戸棚の中などに供える。ウブメシは生児、産婦にも供え、産婆や手伝いの人などなるべく多くの女たちに集まって食べてもらう。その人数が多いほど生児が世に出てから大世帯をもつという。

[大藤ゆき]

産婆

出産は自然の生理なので、以前は一人で産んで一人で取り上げたという気丈な人があった。産婆は地方によってトリアゲババ、ヒキアゲババ、コズエババなど、さまざまな呼び方がある。取り上げ、引き上げというのは、生まれ出る子を人間界に取り上げる、人間の仲間に引き入れ加えるという意味があった。古風な産婆はただ分娩(ぶんべん)の手助けをするだけでなく、生児にとっては人間界に現れるための第1番目の補助者という、宗教的な呪術(じゅじゅつ)的な役割をもつものであった。したがって生児と産婆とは一生を通じて特別の関係にあるものとされていた。

[大藤ゆき]

分娩の方法

いまでは仰臥産(ぎょうがさん)であるが、大正の初めごろまでは座産(ざさん)が一般であり、寝て産をすると死ぬといわれていた。難産をもっとも恐れ種々のまじないや俗信がある。

[大藤ゆき]

えな・へその緒

アトザンとか胎盤とよばれるえな、臍帯(さいたい)は、生児の分身であり、その取り扱い方によって、生児の一生の安危にかかわるものと信じられていた。その始末法にはさまざまの作法があった。

[大藤ゆき]

諸民族の習俗

出産は日常の住居から離れた場所で行われることが多い。アフリカの採集狩猟民サンの社会では妊婦は一人で野営地を離れ、やぶの中で産んだ。パプア・ニューギニアでは河原で出産した。このように森の中、海岸、川岸などで出産したほか、しばしば出産のための特別な小屋に隔離されて出産した。ポリネシアのマルケサス諸島、タヒチ、ハワイ諸島などでは住居とは別の産小屋を建ててそこで産んだ。そのような場合たいてい妊婦とごく少人数の介添えだけで行われる。しかし公衆の面前で行われる場合もあり、たとえばかつてのサモアでは老若男女20人か30人の前で行われ、子どもも追い払われなかったという。出産の手助けは出産経験の豊富な女性のほか、妊婦の母が行うことが多い。ガーナのアシャンティ人ではかならず母系親族の女性の世話を受け、父系親族の者からは助けを受けない。出産時に夫が同席するか否かは社会によって異なる。インドシナ半島の少数民族モンの社会では夫はひざまずいた姿勢をとった妻を支えてやる。逆に出産時の夫の不在例もよくみられる。メラネシアのロイヤル諸島では出産は一種の見せ物で、男も女も子どもも見に集まるが、夫だけはおらず、出産後も子がはいはいができるようになるころまで妻子のところを訪れない。出産時の妊婦の隔離は、出産、とくにそのとき流れる血を不浄、穢(けがれ)と考えたり、危険な力をもっていると考えるからである。

 妻だけでなく夫も同様に扱われることもある。ニューギニアのアラペシュ人は台地の上にある集落から離れた低地に隔離小屋を建て、そこで出産する。出産後、母子は集落と出産小屋の中間にある別の仮小屋へ移る。夫は最初の4日間仮小屋へ入れず、5日目に清めの儀礼を受けてから会う。さらに数日後に夫婦とも清めをしてから自宅へ戻る。しかし産後1か月間は産婦はもちろん夫も自宅にこもっていなければならず、そのあと宴会を開き、禁忌から解放される。コスタリカでは産婦は産後1か月隔離小屋で暮らすが、その間、食物は他の女性が調理して運び、棒の先に刺して与えた。産婦が使った道具に触れた人間は死んでしまうと考えるからである。タヒチでも産婦は食物に手を触れてはならず、他の者に食べさせてもらった。出産の習俗として有名なものにクーバード(擬娩(ぎべん))がある。妻の出産時に夫も床について、苦しんだり、さまざまな禁忌に従ったり、周囲の人たちから産婦のように扱われ、手厚い世話を受ける。スペインのバスク、バルト海沿岸の一部、北米・中米・南米のいくつかの先住民族などにみられる。なお、出産時の産婦の姿勢は、寝た形のほか、座ったりひざまずいた姿勢がよくみられる。

 出産時に注意深く扱われるものに胎盤などの後産(あとざん)とへその緒がある。これらは生まれた子の運命に影響を及ぼすと考えられ、慣習に従った処理がなされるが、しばしば生まれた子が男か女かによって処理の仕方が異なる。スーダンの遊牧民ハデンドワでは、男児の後産はキャンプから遠く離れた木陰に埋められ、女児の後産はテントの内部に埋められる。バリ島では後産を男の子の場合は家の入口の右側に、女の子なら左側に埋める。モン人はへその緒を男の子なら家の戸口の下、女なら寝台の脚の下に埋める。サモアでは男の子のへその緒は海に投げたりタロイモの下に埋めた。女の子のへその緒はタパ布の材料になる木の下に埋める。出産後、生まれた子どもに儀礼を施すこともよくなされる。メキシコのツォツィル語系マヤ人では男の子の場合は鍬(くわ)、斧(おの)、山刀、女の子の場合はトウモロコシ、トウガラシ、塩、機織(はたお)りの道具を赤ん坊の口に当てて唱え言をいう。これらは男女の違いを世界観のなかで位置づけ、男女の役割を確認することを意味していると考えられる。なお、初乳を赤ん坊に飲ませないとか、赤ん坊が最初に飲む乳は母親以外の女性の乳でなければならないとする所がある。たとえばアフリカのサン人の部族クンでは赤ん坊がすぐ母親の乳を飲むと母子ともに死ぬと信じているので、最初は他人の女性の乳を飲ませる。

 このように出産は多くの信仰、禁忌、儀礼に取り囲まれている。それは、出産が母体にとって危険であるというだけでなく、社会的にも重要な意味をもっているからである。出産を経て、女性は母としての役割を獲得し、ときには真に妻として認知される。というのは、初生児の出産後、初めて婚姻が成立する社会もあるからである。もちろん男にとっては父になることを意味する。出産儀礼はこのような新しい社会的地位の獲得、あるいは地位の変化を儀礼という形で表している。他方、出産は子どもにとっての出生であり、誕生の儀礼は生まれた子を社会の一員として確認し、位置づける意味をもっている。なお、ファン・ヘネップは、出産・出生を人間が一生のうちに通過しなければならない段階の一つとしてとらえ、その際の儀礼は他の通過儀礼と同じく、隔離、移行、統合の3段階からなるとした。先に述べたアラペシュ人の出産経過はその一例である。

[板橋作美]

『『旅と伝説 六ノ七 誕生と葬礼号』(1933・三元社)』『「家閑談」(『定本柳田国男集15』所収・1963・筑摩書房)』『大藤ゆき著『児やらい』(1985・岩崎美術社)』『J・W・ドゥデンハウゼン、W・シリンベル著、鈴木重統ほか訳『産科臨床プラクティス』(1994・西村書店)』『関口允夫著『理想のお産とお産の歴史――日本産科医療史』(1998・日本図書刊行会)』『杉立義一著『お産の歴史』(集英社新書)』


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百科事典マイペディア 「出産」の意味・わかりやすい解説

出産【しゅっさん】

分娩とも。胎児とその付属物が産道を通り母体外に排出されること。分娩によって妊娠が終わる。陣痛と腹圧による自然分娩と,人工的介助を加える人工分娩(鉗子(かんし)分娩帝王切開による切開分娩など)がある。分娩開始の徴候は陣痛,血性帯下(たいげ)など。分娩の経過は3期に大別される。第1期(開口期)は子宮頸(けい)管と子宮口が全開大となるまでをいい,ふつう初産で10〜16時間,経産で4〜7時間。この間に胎児は骨盤腔の中間部まで下降する。第1期の終りに破水が起こる。第2期(娩出期)は胎児が子宮口を通過して母体外に出るまでをいい,初産では2〜4時間,経産では1時間前後。ふつう胎児は後頭部が先進するが(後頂位),胎児の頭蓋骨は薄く,継ぎ目が固定していないため,産道を通過する際に骨がゆがんだり重なったりして頭部全体が細長くなる(児頭の応形機能)。また,児頭は産道の形に従って首を中心として方向転換する。骨盤に入る際には前屈し,出る際には仰向く。娩出時に顔面は会陰部を向いているが娩出後に右または左を向く(児頭の回旋)。児頭は応形機能により頭囲を最小にして,収縮時に腟(ちつ)壁を開大しながら進んで母体外に露出し,収縮が終わると引っこんで見えなくなる(排臨)。最大の娩出力を必要とする時期で自然に力む(努責)ようになる。収縮するごとに露出面が大きくなり,収縮が終わっても児頭が引っこまなくなる(発露)。発露後は1回から数回の収縮で児頭が娩出される。続いて体部,四肢が娩出され,同時に羊水が流出する。第3期(後産期)は胎児の娩出後,胎盤が娩出されるまでをいい,初産,経産ともに10〜30分。胎児娩出後の子宮は急速に収縮し,胎盤が子宮壁から剥離(はくり)して血液とともに排出され,分娩が終わる。第3期の出血を後出血といい,ふつう胎盤排出後数分間で止血するが,極端に大量の出血が起こる場合がある(弛緩(しかん)出血)。分娩時の異常のおもなものは胎児の姿勢・位置の異常(逆児(さかご)など),胎盤やその他の付属物の異常(前置胎盤胎盤早期剥離,臍帯巻絡(さいたいけんらく)など),骨盤の異常(狭骨盤,変形骨盤など),産道の異常(子宮頸管,子宮口などの伸展不良など),産出力の異常(微弱陣痛など)。子宮破裂は少ない。分娩終了後は産褥(さんじょく)期となる。→無痛分娩
→関連項目アクティブ・バース頸管裂傷子宮収縮薬早産胎児診断法

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出産」の意味・わかりやすい解説

出産
しゅっさん
birth

分娩ともいう。胎児とその付属物 (羊水,臍帯,胎盤,卵膜) が妊娠母体の外に排出される一連の生理的現象。出産開始が近づくと,胎児の先進部 (通常は児頭) が骨盤腔内に下降進入するため,妊婦は胃のあたりが楽になる。また,下腹部が頻繁に張ったり,子宮の軽度の収縮によって,胎児と羊水を包んでいる卵膜が子宮壁からはがれ,少量の血液を混じた粘液性分泌物が出る。これを産徴と呼ぶ。出産は通常,子宮筋の規則的な収縮で始り,これを陣痛と呼ぶ。出産は3期に分けられる。第1期には,子宮筋の収縮によって,筋線維のない頸部の組織が体部のほうに引張られ,子宮口が開大する。陣痛によって子宮内の圧力も高くなるので,羊水が卵膜を内部から押出し,子宮口を広げる働きをする。これを胎胞と呼ぶ。第1期の終りは子宮口が完全に開大したときで,通常はこのときに破水する。第2期は子宮口全開から胎児娩出までで,陣痛はますます強く,規則的となる。児頭が直腸を圧迫するので,産婦は反射的に腹圧を加えるようになり,子宮収縮力と腹圧とが娩出力となって,胎児を産道から押出そうとする。産道,ことに骨産道は,入口の部分は横に長く,出口は縦に長い楕円形なので,児頭は産道の形に合せて回転しながら産道を通過する。これを児頭の回旋と呼ぶ。第2期の終りには,胎児の後頭部が腟口から見えかくれする状態 (排臨) から,一部が腟外に出た状態 (発露) になる。通常,この時期に会陰を切開し,児頭は母体の背側に向いた顔面をあおむけにするような動作をしながら,娩出される。第3期には,胎盤が子宮壁からはがれて,卵膜や臍帯とともに娩出される (→産褥 ) 。

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日本文化いろは事典 「出産」の解説

出産

分娩は病院や助産院で行われるのが一般的です。胎児は妊婦の体内で成長し、10ヶ月程度で誕生します。産前の妊娠期間には帯祝い、産後には産飯〔うぶめし〕、産湯〔うぶゆ〕など、昔から行われている慣習が存在します。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

普及版 字通 「出産」の読み・字形・画数・意味

【出産】しゆつさん

産物。

字通「出」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の出産の言及

【異常分娩】より

…分娩(出産)の経過が正常の経過をたどらず,通常の場合以上の人工介助を必要としたり,母体や胎児に傷害を生ずるような分娩をいう。娩出力(陣痛,腹圧),娩出物(胎児および付属物),産道(骨産道,軟産道)の三つを分娩の3要素といい,それらがいずれも正常で,しかも釣合いがとれている場合には分娩は正常の経過をとる。…

【沖縄[県]】より

…地縁集団は〈組〉とよばれ,労働力交換を指すユイの仲間を構成することが多い。
[通過儀礼]
 出産は裏座に〈地炉(じろ)〉を作って,その脇で行い,夏でも産後は火をたいて暖めていた。えな(胞衣)は火の神がまつってある台所裏手の雨だれの下に埋めたが,近所の婦人や子供たちに大声で笑ってもらい,生児が健康に育つよう祈った。…

【計画分娩】より

…分娩は多くの場合,異常なく経過するものであるが,ときに突発的に大出血を起こし,母体死亡にいたることもある。そこで人手が多く,輸血など緊急に必要なときは,いつでも運べる昼間の時間帯に分娩を終わらせるよう計画的に出産させる。これが計画分娩で,この意味から日中分娩ともよばれている。…

【米】より

… 米が霊的な力をもつという観念は,人間の一生の儀式にも見られる。出産にあたって産室に米をまくとか,米俵を持ちこんで妊婦にすがりつかせるのも,米の力によって妊婦を勇気づけるとともに,米の神が出産を助けたことを意味している。結婚の儀式に,椀に高く盛った飯を嫁に食べさせるのも,これまで生家で育ってきた嫁が,婿方の人間として新しく生まれかわるための儀式と考えられる。…

【里帰り】より

…(3)盆や正月などの節日に生家の両親へ贈物の食物を携えて帰るもの チョウハイ(北陸地方),セツギョウ(山形県),ツクリアガリ(熊本県)など種々の名称でよばれている。(4)出産のための里帰り かつての出産は多くは生家で行うものとされていた。現在でも少なくとも第1子は生家で生むべきとする慣行がある。…

【産の忌】より

…出産を穢れ(けがれ)として忌む観念で,地方によってサンビ,アカビ,チブク,シラフジョウなど種々の呼び方がある。死の忌のクロフジョウ(黒不浄)に対して,血忌をいうのであるが,沿岸地方や産の忌の厳しい神社の付近などでは,死の忌より重いとしているところがある。…

【マルガレテ】より

…竜となって現れた悪魔にのみ込まれたが,手にしていた十字架が大きくなって(手で十字を切ったとの説もある),竜の腹を裂き,無傷でのがれた。拷問の末首を切られたが,その際とくに,出産の苦痛から婦人たちが救われるよう祈ったと伝えられる。これらの理由で,安産の守護聖人とされる。…

※「出産」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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