平野長靖(読み)ヒラノ チョウセイ

20世紀日本人名事典 「平野長靖」の解説

平野 長靖
ヒラノ チョウセイ

昭和期の山小屋経営者,自然保護運動家 尾瀬の自然を守る会代表;長蔵小屋(尾瀬)主人。



生年
昭和10(1935)年8月24日

没年
昭和46(1971)年12月1日

出生地
群馬県沼田市

学歴〔年〕
京都大学文学部国史学科卒

経歴
尾瀬沼の主といわれた平野長蔵の孫。昭和34年北海道新聞社に入社、校閲、整理各部に勤務。36年夏実弟睦夫が死亡。実家の要望もあって尾瀬長蔵小屋を継ぐ決心をし、38年新聞社を退社。尾瀬に帰った。41年には父長英が病に倒れ、小屋の経営管理の全責任を負い、「尾瀬だより」を発行。46年6月自動車道路の建設が自然を荒廃させる惨状を「峠の泉が涸れる」という短文にしたため朝日新聞に投稿、尾瀬の自然を守る運動に力を注いだ。同年7月には大石武一環境庁長官に面会・現地視察を要望。8月には尾瀬の自然を守る会を発足させた。これらの運動と世論によって群馬県は車道建設工事を中断した。同年12月1日、小屋の越冬準備を終え、翌日東京で開く自然保護の会合出席のため下山の途中、雪の山中で疲労のため凍死。友人らが編んだ遺稿集「尾瀬に死す」がある。未亡人紀子が長蔵小屋を継ぎ「いわつばめの通信」を発行。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野長靖」の解説

平野長靖 ひらの-ながやす

1935-1971 昭和時代後期の自然保護運動家。
昭和10年8月24日生まれ。平野長英長男。北海道新聞社勤務をへて昭和38年尾瀬の長蔵(ちょうぞう)小屋3代となる。46年尾瀬自動車道の建設中止をうったえ,「尾瀬の自然を守る会」を発足させた。昭和46年12月1日吹雪のなか小屋から下山途中,凍死した。36歳。遺稿集に「尾瀬に死す」。福島県出身。京大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平野長靖」の解説

平野 長靖 (ひらの ちょうせい)

生年月日:1935年8月24日
昭和時代の山小屋経営者;自然保護運動家
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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