日本歴史地名大系 「幸善寺跡」の解説 幸善寺跡こうぜんじあと 鹿児島県:出水市下鯖淵村幸善寺跡[現在地名]出水市下鯖町寺跡は加紫久利(かしくり)神社に接してある。加紫久利山と号し、真言宗。京都智積(ちしやく)院の末寺で、本尊は聖観音であった。開山は智積院住持快存。享保六年(一七二一)鹿児島藩主島津吉貴が加紫久利神社再建の際、同社の別当寺として廃寺となっていた幸善寺(初め大隅国桑原郡栗野郷にあった)を中興したのが当寺といい、このとき智積院快存を開山とし、快山の弟子で鹿児島城下安養(あんよう)院の住持看敞が二世として入寺した。翌年、京都嵯峨大覚寺宮の命によって院家荘厳院を兼帯し、天明八年(一七八八)からは米(こめ)ノ津(つ)天満宮(現菅原神社)の別当を兼帯、寺禄九〇石余を有した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by