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幸地賢忠 こうち けんちゅう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

幸地賢忠 こうち-けんちゅう

1623-1684* 琉球の音楽家。
尚豊王3年6月15日生まれ。琉球王室につかえるかたわら三線(さんしん)音楽湛水(たんすい)流を創始,今日の沖縄三味線音楽の基礎をきずく。1672年踊奉行となるが,翌年失脚。のち首里によびもどされ,茶道頭(さどうがしら)役についた。尚貞王15年12月10日死去。61歳。首里出身。号は湛水。通称は湛水親方。唐名は夏徳庸(か-とくよう)。作品に「作田(つくてん)節」「首里節」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

幸地賢忠
こうちけんちゅう
(1623―1682)

琉球(りゅうきゅう)三味線音楽の確立者で、「湛水(たんすい)流」の祖といわれる湛水親方のこと。幸地親方賢盈(けんえい)の次男として生まれ、小赤頭として王室に出仕した。薩摩(さつま)に4回上り、要職を歴任し、のちに具志川間切(ぐしかわまぎり)総地頭職になった有能な官吏であった。踊奉行のとき、摂政羽地朝秀(はねじちょうしゅう)(向象賢(しょうしょうけん))の怒りに触れ、なお、ゆえあって官職を辞し、具志川間切田場(たば)村に隠居、剃髪(ていはつ)して湛水と号した。1676年(延宝4)首里に呼び戻され、御茶道頭役に命ぜられた。琉球古典音楽の確立者として名高く、彼の作として作田(つくてん)節、早作田(はいつくてん)節、首里節、じゃんな節、諸鈍(しょどん)節、揚作田(あげつくてん)節、暁節などが有名である。湛水流はのちに屋嘉比朝寄(やかびちょうき)が開いた「当流」に受け継がれた。[當間一郎]

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