幸心村(読み)こうしんむら

日本歴史地名大系 「幸心村」の解説

幸心村
こうしんむら

[現在地名]守山区幸心

瀬古せこ村の東にあり、北を庄内川が流れ、西に勝川かちがわ街道が通っている。瀬古から幸心へかけて条里制の遺構が認められる。織田信雄分限帳に「もり山の内はたい(秦江)こうしん」とある。寛文一一年(一六七一)の家数三一、人数男一一一・女一〇六(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田は一五町七反五畝余、畑は九町七反三畝余で、概高四九九石余のうち四二五石余が藩士八人の給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む