幸生村(読み)さちゆうむら

日本歴史地名大系 「幸生村」の解説

幸生村
さちゆうむら

[現在地名]寒河江市幸生

宮内みやうち村の北、寒河江川支流熊野ゆうの川に沿う細長い山村。同川沿いに永松ながまつ銅山(現最上郡大蔵村)を越して肘折ひじおり(現同上)に至る道がある。幸生(上・中)のほか笈合おいあわせ柳沢やぎざわの集落がある。天正四年(一五七六)年紀をもつ幸生上組契約会蔵の鉦銘に村名がみえ、文禄五年(一五九六)五月一四日の康広充行状(永井文書)によると、「幸生おひあわせ壱間半之在家」(屋敷数六)が、郷左衛門などに与えられている。康広は沼平ぬまだいら(現西村山郡西川町)の館主東海林隼人正康広である。白岩しらいわ郷の一村で、最上氏改易後の領主の変遷は白岩村に同じ。元和八年(一六二二)の高七五二石余(西村山郡史)正保郷帳には幸生子村とみえ、田六二三石余・畑一二九石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む