広島海苔(読み)ひろしまのり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「広島海苔」の意味・わかりやすい解説

広島海苔
ひろしまのり

干潟に富んだ広島湾の有機質を多く含んだ川水の流入する潮口でひび(篊)養殖された海苔。口碑では万治(まんじ)年間(1658~1661)に安芸(あき)国安芸郡仁保(にほ)島(広島市南区)の長三郎、御茶屋半三郎らによって生海苔が加工され、えびら海苔を製し始めたという。1717年(享保2)安芸郡で他国販売した海苔23万枚(代銀五貫720目)とあり、生産増加している。1811年(文化8)仁保島淵崎(ふちざき)芦屋(あしや)忠四郎は、江戸浅草海苔の製法を学んで帰国し、抄製(しょうせい)法(漉(すき)海苔)を広めた。ノリ養殖は、仁保島・江波(えば)・草津の沖に粗朶(そだ)ひび、のちに女竹(めだけ)を垂直に立てた垂直ひび養殖が行われ、生産量が増大した。1925年(大正14)ころから割竹や竹枝を使った簾(すだれ)ひびや、椰子(やし)縄の綱ひびを用いる支柱式水平ひび養殖が始まり、画期的な発展を遂げる。1960年代に入ると、人工採苗技術の開発、漁場拡大などにより海苔経営者2000戸、年間生産量数千万枚に達した。

[土井作治]

『『広島県史 近世1』(1981・広島県)』『『新修広島市史 第三巻』(1959・広島市)』

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