日本歴史地名大系 「広嶺神社」の解説 広嶺神社ひろみねじんじや 福井県:小浜市竹原村広嶺神社[現在地名]小浜市千種二丁目江戸時代、侍屋敷地であった通称天神前(てんじんまえ)町にある。竹原(たわら)神社・天王社・祇園社とも称する。祭神素盞嗚(すさのお)尊・八王子(はちおうじ)・少将井天王。旧郷社。周辺は古くから千種(ちぐさ)の森とよばれた(若州管内社寺由緒記)。草創時期はつまびらかでないが、文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に「天王宮六反六十歩 志万郷」とみえる。応永一九年(一四一二)に守護一色義範が鳥居を立て(若狭守護代記)、大永七年(一五二七)にも守護武田元光が鳥居を造立している(羽賀寺年中行事)。この頃当社禰宜職の田地は大飯(おおい)郡本郷(ほんごう)(現福井県大飯町)の松宮宗松入道が領主として保持しており、拝幣の代理として一類の松宮三郎が出頭している(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by