日本歴史地名大系 「竹原村」の解説
竹原村
たけわらむら
- 千葉県:館山市
- 竹原村
竹原村
たけわらむら
竹原村
たけはらむら
「和名抄」記載の
竹原村
たわらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
- 山形県:南陽市
- 竹原村
東は
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけわらむら
松山平野の西平坦部に位置する農村。東は
古代には温泉郡
竹原村
たけはらむら
- 長野県:中野市
- 竹原村
東は
初見は慶長七年(一六〇二)森忠政検地で、村高三五七石七斗二升六合とあり、その後開拓が急速に進んだ。田方に対し畑方の多いのが特色である。
夜間瀬川の乱流した姿が
竹原村
たかばるむら
竹原村
たけはらむら
慶長検地高目録によると村高二二八石余、小物成六・三一二石。新宮北山組に属し、近世後期の「新宮領分見聞記」に高九五石余、家数七五とあるのは、承応三年(一六五四)頃に
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
越前中央山地の北麓に位置し、南西は
慶長三年(一五九八)七月一三日付越前国吉田郡志比庄之内竹原村御検地帳(「上志比村史」所収)があり、上田七町九反余で一四二石六斗五升、中田一町五反余で二一石九斗四升、下田一町六反余で二五石七斗一升、下荒田一町四反余で一九石六斗三升、上畠四町一反余で六二石九升、中畠四反余で五石六斗二升、下畠九反余で一二石六斗六升、屋敷三反余で六石一斗、桑畑一町五反余で二五石六斗、上畠荒九反余で一一石九斗九升、下畠荒三町七反余で四五石七斗七升、田畠屋敷合二四町六反余で分米合三八〇石七斗五升であり、近隣の藤巻・石上・
竹原村
たけばるむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけはらむら
竹原村
たけばらむら
竹原村
たかわらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報