広橋兼顕(読み)ひろはし・かねあき

朝日日本歴史人物事典 「広橋兼顕」の解説

広橋兼顕

没年文明11.5.14(1479.6.4)
生年:宝徳1.9.18(1449.10.4)
室町後期の公卿。道号昭室,法名恵寂。父は従一位贈内大臣綱光。寛正4(1463)年15歳で元服してから治部大輔に任ぜられ,文正1(1466)年蔵人となり宮廷に出仕するようになった。翌応仁1(1467)年右少弁に任ぜられてからは朝廷実務に携わり,以後文明3(1471)年右中弁,同7年左中弁,蔵人頭となった。同9年からは武家伝奏を務め,応仁・文明の乱(1467~77)後の公武の調停復興に力を尽くした。同9年には右大弁,さらに参議に補せられ公卿に列した。南都伝奏にもなり奈良興福寺との折衝役も務めた。同11年従三位権中納言になったが,まもなく31歳で急死日記『兼顕卿記』は当時の政治史料として貴重である。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広橋兼顕」の解説

広橋兼顕 ひろはし-かねあき

1449-1479 室町時代の公卿(くぎょう)。
宝徳元年9月18日生まれ。広橋綱光(つなみつ)の子。文明9年参議兼右大弁となる。のち従三位,権(ごんの)中納言。敷奏(ふそう),武家伝奏(てんそう)をつとめた。文明11年5月14日死去。31歳。日記に「兼顕卿記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「広橋兼顕」の解説

広橋兼顕 (ひろはしかねあき)

生年月日:1449年9月18日
室町時代の公卿
1479年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android