広海二三郎(読み)ヒロウミ ニサブロウ

20世紀日本人名事典 「広海二三郎」の解説

広海 二三郎
ヒロウミ ニサブロウ

明治〜昭和期の実業家 広海汽船社長;貴院議員(多額納税)。



生年
嘉永7年11月3日(1854年)

没年
昭和4(1929)年1月28日

出身地
加賀国(石川県)

経歴
代々加賀国江沼郡瀬越村(石川県加賀市)で北前船主を営む家に生まれる。明治19年大阪に移る。和船蒸気船に切り替えて広海汽船社長となり、家業を発展させた。41年広海商事を設立。この間、37年貴族院の多額納税議員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「広海二三郎」の解説

広海二三郎

没年:昭和4.1.29(1929)
生年:安政1.11.3(1854.12.22)
加賀国江沼郡瀬越村(石川県加賀市)の北前船主。祖先以来の大坂・北海道間の物産運搬,販売をさらに発展させ,明治初年の和船8隻を新型船に切りかえ,22(1889)年帆船7隻汽船1隻総所得8960円,32年帆船4隻汽船3隻総所得2万8104円,36年汽船6隻になる。なお30年ごろ小樽に石造建築支店を設け,また九州硫黄,石炭の鉱山経営も行い,41年広海商事株式会社を創設した。また北前船主を集めて日本海上保険を創立したり,大阪商業会議所議員,37年貴族院の多額納税議員になる。<参考文献>越崎宗一『北前船考』

(植村元覚)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広海二三郎」の解説

広海二三郎(4代) ひろうみ-にさぶろう

1854-1929 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)7年11月3日生まれ。代々加賀(石川県)で海運業をいとなみ,二三郎を襲名。明治19年大阪にうつり,22年4代をつぐ。蒸気船を購入して広海汽船社長となり,41年広海商事を創設。共同火災,大日本紡績などの重役をかねた。37年貴族院議員。昭和4年1月29日死去。76歳。名は二平。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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