船舶による海上輸送業務をいう。
海運は古い歴史を有するが,今日の海運市場取引に基づくいわゆる他人運送を専業とする海運業(コモン・キャリアcommon carrier)が海運に支配的地位を占めるようになったのは,19世紀を迎えてからのことである。それまでの海運は,商人が積卸地の市場で売買する自己の商品を輸送するために船舶を所有し運航するという自己運送形態(プライベート・キャリアprivate carrier)にあった。つまり,それまでの海運は,商人の運送貿易の手段として商人によって船舶が所有され運航されていた,いわゆるマーチャント・キャリアmerchant carrier(商人船主)に支配され,海運は貿易の中に含まれて一体化し,貿易と未分化の段階にあった。その後歴史が下るにつれて,人および物の海上移動の増加と造船技術や航海技術の発達にともない,他人運送形態(海運専業者)がしだいにその比重を高め,やがて産業革命の浸透による生産力の増大で原料や製品貿易が急増するにいたり,支配的な海運形態となった。こうして,海運は19世紀初期に貿易から分化独立し,独立産業としての海運市場の確立を見,それまでの海運サービスの自給自足の自己生産形態から脱却して,市場生産形態を一般的姿とするようになった。それ以来,海運はみずからの発達を通じて,一国の土地,労働,資本の合理的利用や結合を可能にし,国内的国際的分業を促進することによって,各国の農業や工業生産力の発展に大きな貢献をしてきた。
今日のわれわれを取り巻く経済は,分業と交換が高度に発達した流通経済であり国民経済である。したがって,国際的分業のもとで国民経済相互の交換現象として現れる国際貿易は,大量輸送,遠距離輸送,低コスト輸送機能の発達に規定される。この点,海運は他の輸送機関に比べて輸送の大量性と長距離性,単位当り輸送量に対比して少ないエネルギー消費量,社会資本の投下を必要としない自由な交通路,これらの諸要素から生み出される輸送コストの低廉性等を特色とし,高額商品はもとより低額の原料,燃料,農産物等の経済的な輸送を可能にしている。このことから,海運は伝統的に貿易貨物の輸送手段として支配的地位を占めてきた。したがって,海運は国際市場の創出や拡大の役割を担い,国際貿易の拡大に重要な影響を及ぼす。また,海運は一国の土地,労働,資本の合理的利用ないしは結合を容易にして特定産業の発達に有利な基礎条件の創出に貢献し,一国のあるいは国際的な産業配置に影響を及ぼして,一国の産業構造や経済構造の形成に重要なかかわりを有している。このような関係は,蒸気船の出現による19世紀以降のめざましい世界海運の発達と当時の主要産業の発展とが密接な相関を示した史実によって裏づけられている。また,第2次大戦後今日までの世界的な重化学工業化の発展が,タンカーや貨物船の大型化,専門化によって可能になった原料および燃料資源の低コストによる大量・安定輸送に支えられてきたことをみても,明らかである。
これを日本経済との関連でみると,日本はその国民経済を維持,向上させていく上で必要な資源のほとんどを海外に依存しており,しかも日本の経済規模が自由世界第2位という大きなものであるため,日本の輸入貿易量は現在世界最大の規模を示している。四面海に囲まれている日本は,これら膨大な規模の資源輸入をすべて船舶による輸送に頼らなければならない。それも,諸外国よりも遠隔の地から輸入しなければならないという不利な立場にある。したがって,大量のしかも遠距離からの輸入物資の輸送を安定的にかつ経済的なコストで確保することが,日本経済にとってきわめて重要な課題である。輸入物資のほとんど大部分は原料,燃料および食糧等で構成されているので,日本経済の生産部門がこれら重要資源を確保する上で外航海運から受ける影響は実に大きい。さらに,貿易立国を経済の柱とする日本は,これら諸資源を効率よく加工し,その大部分を付加価値の高い製品にして輸出しなければならない。事実,日本の輸出貨物のほとんどは,製品,半製品で構成されている。したがって,日本経済を支える重要産業の輸出比率もひじょうに高い。輸出商品のほんの一部は航空機で輸送されているが,ほとんどは船舶によって輸送されている。つまり,日本経済の流通部門も外航海運に大きく依存しているのである。このようにして,今日の日本経済はその大動脈としての安定した海上輸送力なくしては安定と向上を望むことができない。したがって,もし戦争,動乱,その他政治的経済的要因により必要船腹を国際海運市場で調達できない事態に直面した場合,輸入資源の安定輸送手段と輸出貿易手段を失うことになるので,日本経済はただちに重大な危機に陥る。また,たとえ必要船腹を確保できるとしても,このような状況下で要求される異常な高運賃は,海運に依存する国内産業と国際収支に大きな打撃を与えるだろう。このような理由から,貿易立国にとって自国商船隊の存在と発展は,原料,燃料および食糧などの主要資源の安定輸送を保証するために重要であり,また海運の発達による単位当り運送費用の節減ないしは上昇抑制を通じ遠距離輸送を可能にして供給地を広げ,これによって重要輸入資源の確保を容易にし,製品輸出を促進させるという点においても,きわめて重要である。
こうして,貿易立国は本来的に自国商船隊の保有気運を強めるのであるが,もともと貿易立国を経済の柱にできる国は,自国に豊富な潜在的船腹需要源をかかえていることから,その実現をもっとも容易にしている国でもある。このような環境のもとに営まれる海運業は,国内の産業および貿易とひじょうに密接な相互依存関係に立ち,輸入物資の安定輸送確保と輸出促進の機能とがもっとも要求される。しかし海運業はこのような輸送機能の点ばかりではなく,外貨の獲得と節約による国際収支の改善,造船事業をはじめとする関連産業の発達促進,労働市場の提供などの点でも,重要な貢献をしている。
また,海運業は,国内の貨物や旅客の輸送においても,大きな役割を果たしている。内航海運は,現在,石油製品,鉄鋼,セメント,石炭など日本の重要産業がもっとも必要とする原材料物資の8割余りを,また国内流通貨物全体では約半分(トンキロ・ベースで,1980年度の実績)を,それぞれ輸送している。国内貨物輸送における船舶の重要性がこのようにひじょうに高いのは,日本の基幹産業の生産する産業基礎物資がその輸送需要において大量性と同時に長距離性という特質をもっており,これが船舶による貨物輸送を効率的に行うことを可能にしている日本の地理的条件と海上輸送の低廉性とに結合しているためである。日本の重要産業の生産システムが海上輸送を前提として配置され,工業地帯の多くが臨海部に位置していることをみても,内航海運の重要性がわかる。一方,多くの内海および外海離島をもつ日本の地理的条件から,長距離フェリーと離島航路で構成される内航旅客航路事業も,国内旅客輸送に重要な役割を果たしている。
→海運政策
執筆者:織田 政夫
近代以前の海運については,〈水運〉の項を参照されたい。〈貿易は国旗に従うTrade follows the flag.〉とは国力の伸長に伴って貿易が増大するという意味であるが,海運業者はそれを自国船による海運業の発展が貿易を拡大させると理解する。海運が貿易の発展を促すのか,あるいは貿易の繁栄が海運の発展を可能にするのか--現実はそのどちらでもあるが,ともかく海運と貿易との間には密接な関係が存在する。第1次大戦前イギリスの貿易額は世界貿易額の40%を占め,同時にイギリスの船腹総量は世界船腹量の45%に達していた。また1960年代平均17.6%という世界最高の貿易成長率を誇った日本は,1969年イギリスを抜いて世界最大の船主国(便宜置籍船国リベリアを除く)となった。
しかし,貿易の拡大(工業化の進展)と海運業の発展がつねに相伴うとは限らない。イギリスの貿易が急速に拡大した19世紀前半,世界の海運をリードしたのはアメリカで開発され同国の豊富な軟木で建造された快速帆船クリッパーであり,南北戦争前夜アメリカの船腹量はイギリスのそれと肩を並べた。しかしアメリカは,河川および沿岸交通での汽船の採用には積極的であったが,19世紀後半の鉄製汽船による航洋海運には大きく立ち遅れ,南北戦争後増大する貿易貨物の輸送はむしろ外国船に頼った。アメリカでは鉄道業者が鉄道の延長として定期航路の経営に乗り出すことが多く,海運業は独立の産業ではなく,むしろ交通システムの一環として意識されてきたと言ってよい。
イギリスや日本のタイプともアメリカのタイプとも異なる第3のタイプの海運業はデンマークやノルウェーのそれである。国内の工業化に大きな投資の可能性をもたないこれら北欧諸国は,当初農産物などイギリスとの貿易貨物を輸送するため船舶を建造したが,第1次大戦時の軍需輸送による収益や両大戦間に急増した国民所得の大きな部分を船舶に投資し,三国間貿易貨物の輸送による貿易外収入の拡大につとめた。第2次大戦後のギリシアもこのタイプの船主国と見てよいであろう。
イギリスは16~17世紀以降欧州大陸との貿易や石炭の沿岸輸送のため船腹を増大させ,また18世紀後半急増したアメリカ,インド,中国との貿易に対応するため,1788年すでに100万トン以上の船腹を所有していた。これらの帆船は大部分商人が所有し,その自己貨物を輸送するマーチャント・キャリアであり,当然不定期船であった。しかし産業革命末期汽船が発達するに伴い,1810年代まず沿岸定期航路が,1820年代後半にはポルトガル,フランスへの定期航路が開設された。それらは専門的海運企業が旅客や郵便物を輸送する定期船であった。そして1839年のちのキュナード汽船会社がリバプール~ハリファクス間の大西洋郵船航路を,40年にはP & O汽船会社がロンドン~アレクサンドリア~カルカッタ間の定期航路を開設した。
しかし,当時の汽船は,エンジンの石炭消費量が大きく,貨物積載能力はそれだけ小さく,運賃はきわめて高く,政府補助金に支えられた旅客や郵便物,特殊な高価貨物の輸送にしか利用できなかった。大部分の貿易貨物は引きつづき不定期帆船によって輸送され,1880年代まで帆船船腹量は汽船船腹量を上回っていた。しかし1850年代以降,汽船にまず連成機関が採用され,推進方式も外輪からスクリュープロペラに,また船体素材も木から鉄,さらに鋼へと進歩すると,汽船航海の規則性は著増し,運航費も激減し,汽船による定期航路網が急速に拡大した。
とくに大西洋海底電線(1858),スエズ運河(1869)の開通にたすけられ,イギリスのP&Oやブルー・ファンネル・ラインのみでなく,フランスのメサジュリー・マリティーム会社(現,ジェネラル・マリティーム会社)やドイツの北ドイツ・ロイド汽船会社(NDL。現,ハパーク・ロイド会社)なども極東やオーストラリアに航路を延長し,大西洋航路でもアメリカのコリンズ・ラインやドイツのハンブルク・アメリカ汽船会社(HAPAG。現,ハパーク・ロイド会社)がキュナードその他のイギリス船主と激しい競争に入った。とくにドイツのNDL,HAPAG両社は1880年代ドイツおよび南欧,東欧から北米,南米への移民の大量輸送によって急成長した。
主要定期航路における海運競争は,他産業に先駆けてカルテル組織すなわち海運同盟shipping conferenceを各航路に生み出した。運賃率や航海数の協定,運賃共同計算などがそれであり,1875年の最初の海運同盟〈欧州・カルカッタ・コンファレンス〉ではすでに運賃延払制が採用され,1904年までに中国同盟,オーストラリア同盟,リバー・プレート(ラ・プラタ)同盟,南米西岸同盟などが相ついで結成された。
汽船建造技術で立ち遅れたアメリカでは,政府が高価な自国建造船の購入を船主に義務づけ,またアメリカの船員費も著しく割高であったので,アメリカの投資家は船価も船員費もより安価な外国船を運航する道を選んだ。1902年J.P.モーガンが創設した巨大海運トラスト,インターナショナル・マーカンタイル・マリーン会社でも,その運航船腹約100万トンの85%はイギリス籍船だった。そのうえアメリカでは,欧州船主に許されている海運同盟の諸行為の多くが独占禁止法違反とみなされ,また海運業を支える外国貿易業自体の発展が遅れるなど,海運業発展の条件が整わなかった。
しかし,第1次大戦期の大量の新船建造や船舶輸入によって,終戦時のアメリカは世界第2の船主国へ飛躍した。政府はその急増した船腹を船舶院Shipping Boardの管理下において個々の船主に委託し,重要定期航路へ配船させた。このことが両大戦間の長期の世界海運不況の大きな原因となったが,戦時急造のアメリカ船は性能が劣り,しかも船員費は対戦前比50~100%高騰していたので,アメリカ船の運航は困難をきわめ,その係船率は一時70%にも達した。
第1次大戦前世界第6位の船主国であった日本は,アメリカと同じく戦時中の大量建造によって,ドイツ,ノルウェー,フランスを抜き,終戦時世界第3位の船主国に成長した。
そもそも日本は,2世紀余の鎖国のゆえに近代海運,とくに航洋海運の発展に完全に立ち遅れていた。明治維新直後,官営海運業育成に失敗した政府は,1875年民営保護を海運政策の基本と定め,三菱汽船会社に大量の政府所有船を払い下げ,巨額の補助金を支給した。三菱もまた台湾出兵,西南戦争における軍事輸送に活躍し,さらにアメリカのパシフィック・メール社,イギリスのP&O社の競争を退けて横浜~上海航路を開設,日本の大型汽船の約2/3を手中に収めた。この三菱の独占には社会の批判が高まり,1883年政府は,東京風帆船会社など3社の合併によって成立した共同運輸会社に出資し,同社は横浜~神戸間航路で三菱と激しい競争を展開したが,85年政府は両社の合併を斡旋し,日本郵船会社(所有船腹6.5万総トン。現,日本郵船)が成立した。またその前年,阪神間,瀬戸内,九州方面に運航していた小規模汽船船主70余名の大合同により大阪商船会社(9800総トン。のち大阪商船三井船舶。現,商船三井)が成立していた。日本の近代海運業はこうして郵船,商船の二大定期船企業を中心に発達することになり,これはHAPAG,NDLの二大定期船会社がリードしたドイツ海運業の発展と似ていた。
しかし,日本には江戸時代から,菱垣廻船,樽廻船,北前船など伝統的〈大和船〉を多数の船主が沿岸航路に運航しており,これら在来船主は西南戦争後〈大和船〉を洋式帆船に切り替え,1887年ころから汽船を購入してその運航に乗り出した。92年これら小規模船主は,政府補助下の大会社である郵船,商船と対抗するため日本海運業同盟会を組織し,郵船,商船の両社を〈社船〉,それ以外の船主を〈社外船〉と呼ぶことになった。
1893年日本郵船は紡績連合会の支援下にボンベイ航路を開設し,インド綿花の積取りに進出していたが,日清戦争で汽船海運の緊急重要性を認識した政府は,96年〈航海奨励法〉〈造船奨励法〉を公布し,そのもとで日本郵船は北米シアトル航路,欧州航路,オーストラリア航路の三大遠洋航路を一気に開設し,この年設立された東洋汽船会社も北米サンフランシスコ航路を開設した。一方,大阪商船は台湾中心の近海航路や長江(揚子江)航路の経営に重点を置き,遠洋航路進出は1909年の北米タコマ航路が最初であった。
この間,社外船も戦時の御用船需要に応じ所有船腹量を増大させたが,日露戦争時に購入した大型船を戦後の遠洋航路で運航するのに必要な技術,経験をもたなかったので,その所有船を外国商館や三井物産へ用船に出し,もっぱら用船料収入目的の貸船主義の傾向が増大した。
第1次大戦勃発とともに,社船とくに大阪商船は交戦国の船舶が撤退した遠洋航路へ相ついで進出し,とくに同社の東アフリカ経由南米航路はブラジルへの日本人移民や雑貨の輸送で活況を呈し,戦後はパナマ経由の世界一周航路へ発展した。しかし,大戦中より急速に成長したのは戦時船舶管理令の規制を受けない社外船であり,彼らは国内造船所での新造を急ぎ,また三井物産や鈴木商店の船舶部はそれら新造社外船を用船して,極東,東南アジアから欧州への軍需品,食糧の輸送に活躍した。とくに三井物産は一時郵船や商船の運航船腹量の倍近い船腹を運航し,また社外船船腹量は終戦時社船船腹量の倍近くに増大していた。
それのみでなく,山下汽船(1917設立。のち山下新日本汽船などを経て,現商船三井)など一部社外船主は他の社外船から用船してみずから遠洋航路での運航に乗り出しており,大戦中川崎造船所が大量建造したストック・ボートを引き受けて戦後に設立された川崎汽船や国際汽船(ともに1919設立)も大手社外船オペレーターの戦列に加わった。さらに三井物産船舶部や大阪商船は大正末期からディーゼル船の運航に踏み切った。とくに大阪商船は1930年18.5ノットの高速貨物船によるニューヨーク急航路の開設に成功し,それまで北米太平洋岸での船車積換えに頼っていた生糸その他の高価貨物はパナマ経由のニューヨーク直航路に積み取られることになった。もっとも,両大戦間日本の工業化が進むにつれ,諸原料,食糧など嵩高貨物の輸入量が増大し,山下汽船などは輸入中古船を大量に用船し,そうした低価格貨物の不定期輸送に成功した。しかし,ニューヨーク航路などでは往復航とも高価貨物が増大しつつあり,また各国の保護貿易主義によって二国間相互貿易の比重が増大し,さらに長期不況下諸貨物の小口取引が盛んになるなど,定期船経営に有利な諸条件が急速に整ったので,三井物産船舶部や川崎汽船など不定期船経営を本業としてきた大手社外船オペレーターが相ついで定期船経営に進出することになった。
とくに1932年政府が〈船舶改善助成施設〉により,古船の解体と優秀船の新造を促進する政策を発表すると,社船,社外船こぞってこれに参加し,一軸推進機の高速貨物船を大量に建造し,それらをニューヨーク,オーストラリア,インドの諸航路に定期配船した。あたかも金輸出再禁止に伴う円相場の低落により,綿布その他日本製品の輸出が急増しつつあったが,こうした定期航路の発展により,スエズ以東パナマ以西の海域において日本船は外国船を圧倒し,日本海運業の積取比率は70%を超し,海運業は綿製品や生糸の輸出につぐ外貨の稼ぎ手となった。
第2次大戦中の損害により,1941年600万トンを超えた日本船腹総量は終戦時140万トンに激減した。しかも,その残存船腹は連合軍総司令部管轄下の船舶運営会が一元的に運航していたが,50年日本海運業の民営還元が実現し,朝鮮戦争勃発とともに日本船の海外定期航路への復帰が認められた。しかし1946年戦時補償を打ち切られた船主には新船建造の資金力はなく,翌年設立の船舶公団が政府と船主との船舶共有方式による計画造船を推進した。49年ドッジ・デフレ政策のもとで船舶公団の機能は停止され,計画造船金融は政府の見返資金会計に,さらに52年以降は日本開発銀行に引き継がれた。
日本の船主は計画造船で建造した船腹の大半を戦後著しく重要性を増したニューヨーク航路へ配船し,52年同航路は早くも船腹過剰,運賃下落に苦しむことになり,同様の混乱はインド・パキスタン航路にも生じた。しかし54年末欧州経済の復興とともに世界の海運市況は徐々に上向き,とくに朝鮮戦争後急増していたタンカーの市況が活況を呈し,そのまま56年のスエズ・ブームにつながった。
その間日本の造船業は戦時中アメリカで開発された大量建造方式を導入して合理化に成功し,鉄鋼業の復興とともに鋼材価格も引き下げられたので,1955年船舶輸出量は急増し,スエズ動乱を予測したギリシア船主からの大量注文によって,56年早くも日本は世界最大の造船国となった。しかし,そうした造船業の発展やスエズ・ブームにもかかわらず,日本海運業は経営の困難が続いていた。計画造船に必要な政府財政資金,民間資金の借入額が累増しており,また朝鮮戦争,スエズ・ブームいずれの場合にも,ブーム収束後に竣工してくる高船価船を大量に抱え込んだからである。
そのうえ1953年三井船舶(1942年三井物産船舶部から分離独立,64年大阪商船と合併して大阪商船三井船舶。現,商船三井)が欧州航路への盟外配船を敢行,郵船・商船を含む同盟船主との間に激しい運賃引下げ競争を展開した。56年三井船舶の同盟加入が認められ3年余の紛争が解決したときには,スエズ・ブームは終わっていた。こうして57年日本の海運企業57社は,船舶建造資金返納未済額550億円,償却不足分を合わせ1866億円の赤字を抱えていた。60年第2次大戦前の船腹量を回復し,タンカーや各種専用船への多角化を進めてはいたが,この年に始まる国民所得倍増計画に必要な船腹量への拡充は不可能であった。そこで政府の海運造船合理化審議会は,62年支配船腹量100万トン基準の企業グループへの海運集約案を発表,翌年日本の外航船腹936万トンの約90%が,日本郵船,大阪商船三井船舶,川崎汽船,山下新日本汽船,ジャパンライン,昭和海運を中核とする6グループに集約された。この集約を条件に認められた開発銀行融資利子の徴収猶予,利子補給率の引上げと,日本の輸出入の飛躍的な増大による市況の好転とによって,急速に企業体質は改善された。その後積極的な新造計画を推進したので,69年央の日本船腹総量は2399万総トンとなり,ついにイギリスを抜いて世界最大の船主国となった。98年日本郵船は昭和海運と合併,日本郵船を社名とした。99年大阪商船三井船舶はナビックスライン(89年ジャパンラインと山下新日本汽船が合併)を合併し,商船三井を正式社名とする。
1956年のスエズ動乱以後,中東石油を喜望峰回りでヨーロッパに輸送するため世界のタンカーは,当時の造船技術の進歩もあって,急速に大型化した。日本でもタンカーはもとより,製鉄業が鉄鉱石や石炭をブラジルやオーストラリアに求め,その平均輸送距離が延びるにしたがい,大型の鉱石専用船も建造された。専用船腹の増大は世界的傾向であり,世界船腹(1980)の41.7%がタンカー,19.9%が鉱石船,一般貨物船は19.7%となった。一方,かねて陸上でコンテナー輸送の経済性を確認していたアメリカのシーランド会社が66年にヨーロッパ向け海上コンテナー輸送を開始し,ドア・ツー・ドアの輸送需要に応えたので,世界の定期航路は一挙にコンテナー船化した。
世界の海運業の構造的変化としては便宜置籍船の増大も注目される。先進国では船員費の高騰につれ,高価な自国船員配乗義務を免れるため,船舶登録要件のゆるやかなリベリアやパナマに船籍をもつ便宜置籍船が急増しており,世界船腹の約3分の1に達する。日本海運業も,約1400万総トンの自国籍船腹では輸入貨物の20%,輸出貨物の3%を輸送しうるにすぎず,ほかに輸入の50%,輸出の37%を外国用船(主として便宜置籍船)により輸送している(1995)。このような便宜置籍船は発展途上国の自国海運の発展の障害とならざるをえず,UNCTAD(国連貿易開発会議)では途上国の自国船主義と先進海運国の海運自由主義との対立が続いている。また2度にわたるオイル・ショック後の長期不況の中で,日本海運業は香港,台湾など中進国の海運業とのきびしい競争に直面し,自国海運業の衰退は経済・国民生活の安全保障の面からも問題視されるほどに至った。
執筆者:中川 敬一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…以上のように19世紀以来の海運,鉄道に加えて,20世紀には自動車と航空機が普及し,それぞれの特性に応じて交通市場を形成している。(2)交通手段による分類 運送業はそれが利用する交通手段によって分類するのが最も一般的であり,海運業,鉄道業,自動車運送業,航空運送業に分けられる。海運業はいうまでもなく,船舶を利用して運送業を営むものであり,国際海運業,内航(沿岸)海運業,国内定期客船業が中心である。…
…海運業というひとつの産業の成果の最適水準を達成するために,国家が自国海運業に対して行う施策をいい,その具体的内容は,国内立法に体現される。海運政策は海運市場経済に対するいわば国家の干渉(介入)であるが,この干渉のしかたには財政的に支援をする直接間接の補助と,このような財政的支援をともなわない規制との二通りがある。…
※「海運業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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