日本歴史地名大系 「広淵村」の解説 広淵村ひろぶちむら 宮城県:桃生郡河南町広淵村[現在地名]河南町広淵旭山(あさひやま)(桃生)丘陵と須江(すえ)丘陵の間にあり、定(じよう)川が南流する。東は須江村、北は北(きた)村。東方の柏木(かしわぎ)、中央の本(もと)町、西方の新田(しんでん)などの集落からなる。気仙(けせん)道が通る。正保郷帳に広淵宿とあり、田八二貫四八九文・畑七貫七五〇文で、ほかに新田一〇八貫三四〇文。寛永五年(一六二八)に白石(しろいし)城(現白石市)城主片倉小十郎重長が当村谷地など一八ヵ所を知行地として給与され、片倉重久ら家臣の二、三男三〇人余を移住、開墾させて新田に居住させた(河南町誌)。同一三年には旧葛西・大崎氏家臣一八人に知行地が給与され足軽町を形成。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by