須江村(読み)すえむら

日本歴史地名大系 「須江村」の解説

須江村
すえむら

[現在地名]河南町須江

鹿股かのまた村の西方南北に延びる須江丘陵を中心として麓に集落が点在する。現名取市新宮しんぐう寺文殊堂の寛喜二年(一二三〇)閏正月二七日付の一切経奥書に「奥州(ママ)国深江保瓦山別処之住人僧月円坊永秀生年廿六」とあり、仏法のため書写を助けたと記す。瓦山かわらやまは須江丘陵のほぼ中央の字瓦山にあたるとされる。同地からは平安期を中心とした土師器須恵器・布目瓦などを出土し、須江瓦山窯跡と称される。

正保四年(一六四七)宮沢源左衛門は須江村ほか三二七文を加えた一貫五四二文を与えられており、以後加増されて明暦二年(一六五六)には都合二四貫五三一文を知行(各年「伊達忠宗領知黒印状」伊達家文書)正保郷帳では田一七貫六九七文・畑二貫四二九文、ほかに新田一〇貫六九七文。


須江村
すえむら

[現在地名]鳩山町須江

奥田おくだ村の西に位置し、南は大橋おおはし村、西は竹本たけもと村、北は山嶺を挟み将軍沢しようぐんざわ村・鎌形かまがた(現嵐山町)など。村内をはと川の支流大橋川が流れ、南には同川のつくる低地が広がる。松山まつやま領に属した(風土記稿)。古墳時代後期の鳥木とりき横穴のほか、奈良・平安期の窯跡である岡城おかじよう窯跡をはじめとする一〇ヵ所あまりの窯跡があり、南比企窯跡群の中核地域になっている。


須江村
すえむら

[現在地名]水沢市田中たなか真城しんじよう 秋成あきなり

瀬台野せだいの村の南、北上川氾濫原から西方の堀切ほりきり段丘にまたがり、地名はかつて段丘に須恵器の窯があり、陶器を産したことに由来するという。ほぼ中央を南北に奥州街道が通り、一里塚がある。寛永一八年(一六四一)の須江村検地帳(県立図書館蔵)によれば田方四八町七反余・代六二貫二五一文、畑方一八町五反余・代四貫六九八文、茶畑一反余・代三七三文、名請人数四三。正保郷帳では田方五四貫三八〇文・畑方四貫四八九文、ほかに新田高八貫六六一文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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