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広瀬林外 ひろせ りんがい

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美術人名辞典の解説

広瀬林外

幕末・維新の園者。豊後生。旭荘の子。名は孝、字は維孝。伯父の広瀬淡窓に養われ、広瀬青邨と咸宜薗を経営した。明治7年(1874)歿、38才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広瀬林外 ひろせ-りんがい

1836-1874 幕末-明治時代の儒者。
天保(てんぽう)7年生まれ。広瀬旭荘(きょくそう)の子。伯父の広瀬淡窓にそだてられ,広瀬青邨(せいそん)と咸宜(かんぎ)園を経営。維新後は東京の太政官正院歴史課につとめた。詩文は父,伯父をしのぐといわれた。明治7年5月14日死去。39歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。名は孝。字(あざな)は維孝。通称は孝之助。著作に「林外雑著」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

広瀬林外

没年:明治7.5.14(1874)
生年:天保7(1836)
幕末・明治初期の儒学者。名は孝,字は維孝,通称孝之助。林外は号。豊後国日田郡日田に生まれる。父は広瀬旭荘,母は合原氏。広瀬淡窓の甥。父旭荘が日田代官塩谷正義の怒りにふれて大坂に出たため,伯父淡窓に養われ,咸宜園に学ぶ。同窓に長三洲,田代潤卿らがいる。詩文・史学に長じた。咸宜園の林外,大坂の旭荘,府内に教授する青邨は世に三広瀬の鼎足教育といわれた。安政3(1856)年淡窓の没後は青邨に代わってあとを継いだ。維新後は洋学を学ぶため上京したが,修史館に奉職した。著書『林外日記』などには幕末維新の情況が詳らかである。墓は東京小石川伝通院内見樹院。<参考文献>『増補改訂大分県偉人伝』

(沼田哲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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