朝日日本歴史人物事典 「広瀬林外」の解説
広瀬林外
生年:天保7(1836)
幕末・明治初期の儒学者。名は孝,字は維孝,通称孝之助。林外は号。豊後国日田郡日田に生まれる。父は広瀬旭荘,母は合原氏。広瀬淡窓の甥。父旭荘が日田代官塩谷正義の怒りにふれて大坂に出たため,伯父淡窓に養われ,咸宜園に学ぶ。同窓に長三洲,田代潤卿らがいる。詩文・史学に長じた。咸宜園の林外,大坂の旭荘,府内に教授する青邨は世に三広瀬の鼎足教育といわれた。安政3(1856)年淡窓の没後は青邨に代わってあとを継いだ。維新後は洋学を学ぶため上京したが,修史館に奉職した。著書『林外日記』などには幕末維新の情況が詳らかである。墓は東京小石川の伝通院内見樹院。<参考文献>『増補改訂大分県偉人伝』
(沼田哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報