広瀬藩邸跡(読み)ひろせはんていあと

日本歴史地名大系 「広瀬藩邸跡」の解説

広瀬藩邸跡
ひろせはんていあと

[現在地名]広瀬町広瀬

広瀬藩の陣屋で、広瀬町の中央部に位置するなか町の西方台地上にあった。広瀬藩御殿ともいう。初代藩主松平近栄は寛文七年(一六六七)広瀬村居所を置くことを幕府に願出ており(「初代松平近栄系譜」県立図書館蔵)、同年から築造されたとみられる。城下町経営にあたっては同六年の飯梨いいなし(富田川)洪水で大きな被害を受けた対岸の富田城下町から五町ほどを引越しさせている。藩邸の正門は南向きからのち西向きに変わり、南に屏重門、北に作事門があった。邸内には正庁(御殿)・便室・事務所・倉廩・武庫・鼓楼・馬屋・作事部屋などがあり、正庁は表の間が二二七畳、奥の間は二八〇畳半、間数は二〇、役所は一三ヵ所あった(広瀬町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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