如法(にょほう)の衣服の略称。法服、僧服、僧衣、衣(ころも)ともいい、僧尼が着ける衣服のこと。インドにおける意味は、僧伽梨衣(そうぎゃりえ)(9~25条の布で製したもの)、鬱多羅僧衣(うったらそうえ)(7条)、安陀会(あんだえ)(5条)の三衣(さんえ)をさし、四角の衣服の意味から「方衣」ともいう。日本の禅宗では、三衣のなかの僧伽梨衣だけを法衣という。広くは上半身を覆う偏衫(へんざん)、腰より下をまとう裙子(くんず)、上下を一つにした直裰(じきとつ)など、僧の身に着けるものすべてを仏法の衣服として法衣と称した。したがって、後世にはインドの仏教教団で着用した袈裟(けさ)から、かなり変遷しており、広い意味まで含むようになった。
[川口高風]
インドの俗人の衣服は、衣財(えざい)を細かく割截(かっせつ)しない白衣であったが、それは熱帯地であるため、色彩も淡泊なものを尊び、寒冷を防ぐというよりも身体を覆うだけのものであった。それに対し、仏教の出家者は壊色(えじき)(濁った色)の三衣(さんえ)を制定し特異性を強調したが、それは欲望の根源である渇愛(かつあい)を打ち消すためであった。つまり、割截しない一枚の布では、欲望がおこるため、それを小さく切り、一枚の長い布と短い布をつなぎ合わせて1条とし、5条つないだもの(布を10枚縫い合わせる)を安陀会といった。これは、寺内で掃除など雑行のときに着用し、もっとも身近に着けた。次に、7条つないだもの(布を21枚縫い合わせる)を鬱多羅僧衣といい、誦経(じゅきょう)したり講義を聞くときに着けた。僧伽梨衣(9~25条)は、さらに細かく布を割截したもので、そのうち9~13条は長い布を二枚、短い布を一枚、15~19条は三長一短、21~25条は四長一短に区画した。そのため、25条衣は125枚の割截した布が必要である。なお、僧伽梨衣は王宮や集落に入って乞食(こつじき)説法するときに着けた。衣財は、在家者の用いるものを避けるのが本意であるが、綿布、絹、麻、羊毛など身近に手に入るものでよく、在家者が不用で糞塵(ふんじん)に捨てたものならなんでもよかった。また、在家者から施されたものもよい。そして、三衣のほかに右肩を覆う僧祇支(そうぎし)と、下半身を覆う裙子もあって、三衣と合わせて、比丘(びく)、比丘尼の五衣(ごえ)といった。
[川口高風]
仏教が中国に伝播(でんぱ)すると、インドの三衣だけでは、寒冷に耐えうることができないため、出家者も一般人の衣服に類したものを被着し、その上に仏制の三衣を着けるようになった。すなわち三衣は、衣服の意味でなく、ただ仏教の出家者を表示するだけとなった。そのため衣服と三衣とが区別せられ、衣服は偏衫や裙子の変型してできた法衣となり、三衣は袈裟とよばれるようになった。たとえば、安陀会は小さな略式の絡子(らくす)と変型し、法衣として、別に直とつが生まれた。また仏制による壊色の袈裟は律衣(りつえ)とよばれ、朝廷から五正色(せいじき)を取り入れた華麗な袈裟は、賜衣(しえ)とする制度も生まれた。さらに、衣財も絹を禁じ、綿布を用いなければならないという道宣(どうせん)、義浄(ぎじょう)の衣財論争も生じた。そして、本来、袈裟が風によって地に落ちるのを防ぐための鉤紐(こうちゅう)も装飾的に美化され、象牙(ぞうげ)や金環の付属品をつけるまでに発展した。
[川口高風]
仏教が日本に伝来すると、皇室を中心に受容され、僧侶(そうりょ)も国家の規定による人となり、法服も皇室に関係深い貴族の服装に準じて規定された。したがって、貴族の官服や俗服が僧侶の法服に転用され、さらに、仏教の宗派が生まれるや、法衣の様相も宗派によって異なりをみせた。大きく分けると、〔1〕天台、真言、浄土、浄土真、日蓮(にちれん)宗などに用いられるものを教衣といい、〔2〕直裰を中心に絡子を両肩から胸間に垂らす禅衣、〔3〕偏衫や裙子を中心に、紫衣や緋衣(ひえ)は用いないが、三衣を着用する律宗の律衣の3種に分類することができる。
このように、元来は、俗人が捨てた布を拾い、截断して縫い合わせ、壊色にした三衣が中国や日本に伝来すると、気候、風土の異なりから、三衣の下に着ける下着や官服、俗服などまでが種々の法衣となり、「ころも」と称して袈裟と区別するようになった。そのため、鎌倉時代には、道元(どうげん)が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「袈裟功徳(けさくどく)」「伝衣」の二巻を著し、正伝の仏法の袈裟を説いたのをはじめ、江戸時代になると、各宗派で戒律遵守(じゅんしゅ)が強調され、正伝の仏袈裟に帰るべき復古運動が展開されて、鳳潭(ほうたん)、光国、飲光(おんこう)、諦忍(たいにん)、祖道、面山、黙室、来禅らによって、多くの袈裟研究書が著され、仏法衣を追究した。
[川口高風]
『井筒雅風著『法衣史』(1974・雄山閣出版)』▽『川口高風著『法服格正の研究』(1976・第一書房)』
僧尼の着用する衣服。袈裟(けさ)も広義には法衣に属するが,狭義には袈裟の下に着る衣服を法衣とか衣(ころも)といい,その種類や着衣の様式,材質,色合いは多種多様である。(1)褊衫(へんさん)という短衣の上着に,裙子(くんす)という下裳を着ける様式。仏教伝来以来あり,鎌倉時代には主として禅家の間で上下を縫い合わせた直綴(じきとつ)を着用するようになった。(2)褊衫と裙子に擬したもので,上体に袍(ほう),下体に裳(も)を着る様式。奈良時代からあり,天台宗・真言宗に用いられた。赤色袍裳,香袍裳,黒袍裳,布袍裳の別がある。なお平安時代から,絹で仕立てた白色の同形式の鈍色(どんじき)も着用された。(3)裘代(きゆうたい),素絹(そけん),打衣(うちぎぬ),襲(かさね),空袍(うつほ)など平安時代に登場した裳付の法衣。(4)特異な法衣として,修験の鈴懸(すずかけ)や時宗の阿弥衣(あみぎぬ)がある。法衣の材質は麻,絹,綿,紙などがあり,色合いは僧尼令では木蘭,青碧,皁(くろ),黄や壊色(えじき)以外を禁じた。中・近世から今日も広く着用される直綴の色について《和漢三才図会》には,平僧は黒衣,和尚・上人は色衣,勅許の者のみ紫衣,門跡・僧正は緋,禅僧には紅衣もあり,法橋(ほつきよう)・法眼(ほうげん)・法印は黒衣の肩背に白い月形があると記す。真宗には白衣もある。
→衣帯(えたい)
執筆者:赤田 光男
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…衣帯は宗・派により名称,形状,用途が異なることが多いので,ここでは共通する事項についてのみ述べる。衣帯の基本は法衣(ほうえ)(いわゆる衣(ころも))と袈裟(けさ)で,それに被(かぶ)り物,履き物,持ち物等の付属品が加わる。衣帯を着けるには,下着として通常,白小袖(しろこそで)を着用し,その上に袴(はかま)の類をはき,法衣を着け,袈裟を掛けるが,袴類を用いない衣帯もある。…
…僧伽梨は大衣,重衣ともいわれ正装衣に,鬱多羅僧は上衣として礼仏や説法の聴聞に着用し,安陀会は内衣と称して日常の作業や肌着用に用いられた。仏教の北方流布とともに,規定の三衣のみでは身体の保温がたもてないために,下着を着用することになり,これは後に法衣(ほうえ)となった。インドの僧団生活で必需品であったこれらの三衣は,中国,日本では法衣の上に着用し,僧尼の身分を象徴するものとして,装飾化され,法会・儀式や集会などに着用されるに至った。…
※「法衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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