日本歴史地名大系 「庄司村」の解説 庄司村しようしむら 福岡県:飯塚市庄司村[現在地名]飯塚市庄司笠置(かさぎ)山(四二五・一メートル)の東麓に位置し、南は丘陵を挟んで中(なか)村と相田(あいだ)村。枝村に吉北(よしきた)村がある(天保郷帳)。民居は本村・市吉(いちよし)・鷲淵(わしぶち)・和田(わだ)・原尾(はらお)・太郎(たろう)・真砂(まさご)にある(続風土記拾遺)。小早川時代の指出前之帳では穂波(ほなみ)郡合屋(おうや)村のうちとして村名がみえる。慶長七年(一六〇二)の同郡庄司村の検地高七五一石余、うち大豆九四石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高七六八石余・反別六四町三反余、家数一〇五・寺二・社二、人数五一九(田圃志)。 庄司村しようじむら 千葉県:夷隅郡大多喜町庄司村[現在地名]大多喜町庄司弥喜用(やきよう)村の西、西畑(にしはた)川の両岸に位置する。元禄郷帳などには三条(さんじよう)村枝郷とある。文禄三年(一五九四)三月一一日の西畑之内少寺之村坪入改帳(庄司区有文書)では永高四貫七六八文、名請人二九、屋敷地一二筆で名請人一二。寛永一〇年(一六三三)の西之畠村々高割帳(君塚家文書)では高三七石余。同一二年と推定される検地帳(庄司区有文書)では田一町九反余・畑八町八反余(うち茶畑一町五反余)で、名請人二一六、屋敷地一八筆で名請人一七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by