精選版 日本国語大辞典 「庄司甚右衛門」の意味・読み・例文・類語 しょうじ‐じんえもん【庄司甚右衛門】 江戸吉原遊郭の創設者。前名甚内。小田原北条氏の浪人ともいう。慶長一七年(一六一二)に遊郭の設立を出願し、五年後に許可。吉原町の惣名主に任命された。天正三~正保元年(一五七五‐一六四四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「庄司甚右衛門」の意味・わかりやすい解説 庄司甚右衛門しょうじじんえもん 江戸・吉原遊廓(ゆうかく)の開設者。前名甚内(じんない)。1612年(慶長17)に江戸市中の遊女屋を集めて傾城(けいせい)町を設立することを出願し、5年後に許可されて吉原町ができると、その町の名主に任命され、自らも西田屋という妓楼(ぎろう)をもった。「おやじ」と通称されたことにその権威を推測させるが、出身は小田原北条氏の浪人とも、東海道吉原宿の人ともいわれ、不明な点が多い。[原島陽一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「庄司甚右衛門」の解説 庄司甚右衛門 没年:正保1.11.18(1644.12.17) 生年:天正3(1575) 江戸前期の町人。甚右衛門は通称で,初め甚内といった。もと小田原北条家の家臣で,主家没落後江戸に出て道三河岸で妓楼を営んだというが,出自には異説もある。元和3(1617)年吉原開設とともに惣名主となり,江戸町1丁目で妓楼西田屋を営み,「おやじ」と呼ばれた。子孫は代々名主職を継ぎ,同地で妓楼を経営した。 (宇田敏彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「庄司甚右衛門」の解説 庄司甚右衛門 しょうじ-じんえもん 1575-1644 江戸時代前期,遊郭の創設者。天正(てんしょう)3年生まれ。小田原北条氏の浪人。はじめ甚内と称し,江戸で遊女屋西田屋をいとなむ。幕府にねがいでて,元和(げんな)3年吉原遊郭をつくり惣名主(そうなぬし)となる。子孫は代々名主職をついだ。寛永21年11月18日死去。70歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by