庇良島
ひらのしま
古代にみえる松浦郡内の島で、平戸島をさす。海上交通の要所であり、島内に「和名抄」に記される松浦郡庇羅郷が置かれ、また肥前国六牧の一つ庇羅馬牧が設営されていた(「延喜式」兵部省諸国馬牛牧条)。「日本後紀」延暦二四年(八〇五)七月一六日条に「松浦郡庇良島」とみえ、藤原葛野麻呂を大使とする第一六次遣唐使船のうち前年七月に渡海できなかった第三船・第四船のうち第三船は同二四年七月四日に庇良島から遠値嘉島に向かって出航したものの、南風に遭って再び渡唐に失敗している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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