底井野郷(読み)そこいのごう

日本歴史地名大系 「底井野郷」の解説

底井野郷
そこいのごう

現在の中間市上底井野・中底井野一帯から遠賀(おんが)町浅木(あさぎ)一帯にかけてがその領域であったと推測される中世の郷。貞和元年(一三四五)一二月二七日、足利直義は「底井野郷地頭職」など開田佐渡次郎遠員の相伝する当知行地を安堵している(「足利直義下文案」蜷川家文書/南北朝遺文(九州編)二)。応永三二年(一四二五)七月一〇日、将軍足利義持は前九州探題の渋川満頼(道鎮)に御判御教書(案、同文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三、以下断りのない限り同上)を下し、「筑前国御牧郡内頓野・広渡・底□□(井野)・香月・上津役等跡」を宛行っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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