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渋川満頼 しぶかわみつより

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百科事典マイペディアの解説

渋川満頼【しぶかわみつより】

南北朝末期〜室町前期の武将。摂津・備中などの守護を歴任。1396年今川了俊の後任として九州探題に任命された。おもに北部九州の経営に尽力し,博多を拠点に長年にわたって朝鮮と交易した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渋川満頼 しぶかわ-みつより

1372-1446 室町時代の武将。
応安5=文中元年生まれ。渋川義行の子。摂津,備中(びっちゅう),安芸(あき)の守護をつとめ,応永3年(1396)今川了俊にかわり九州探題となり,肥前守護もかねる。筑前(ちくぜん)守護の少弐(しょうに)氏や肥後菊池氏と対立しつつ,博多を拠点に朝鮮との交易をすすめた。文安3年3月13日死去。75歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

渋川満頼

没年:文安3.3.13(1446.4.9)
生年:応安5/文中1(1372)
南北朝末・室町時代の武将。右兵衛佐,左近大夫。義行の子。摂津(兵庫県,大阪府),備中(岡山県),安芸(広島県)の守護となったが,今川了俊のあとを受けて応永3(1396)年九州探題に任命され,肥前(佐賀県,長崎県)守護も兼任。筑前博多に居住したため,同国内に本拠がある守護少弐氏と対立した。肥前には守護代として吉見氏を置き,代官支配を行った。特に東肥前の寺社,国人と関係が深く,のちに渋川氏が肥前に定着する素地をつくった。また,博多を本拠とした関係上,朝鮮との関係が深く,一族・家臣と共に活発に朝鮮と貿易を行い,同26年の応永の外寇に際しては,その善後策を講じた。同年,九州探題を子の義俊に譲り,同31年に訴訟のため上京,以後在京したという。<参考文献>川添昭二「渋川満頼の博多支配及び筑前・肥前経営」(『続荘園制と武家社会』)

(佐伯弘次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しぶかわみつより【渋川満頼】

1372‐1446(文中1∥応安5‐文安3)
南北朝末期~室町前期の武将。法名道鎮。九州探題。摂津,備中,安芸,豊前,肥前,肥後の守護を歴任。九州探題今川了俊の後任として1396年(応永3)博多に着いて以来,九州の経営に尽力する一方,41年間にわたって朝鮮と交易した。少弐・千葉・菊池氏など在地勢力の抵抗のため了俊ほどの実績をあげえなかったが肥前にあっては相当の勢力を扶植した。【森 茂暁】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

渋川満頼
しぶかわみつより
(1372―1446)

室町初期の九州探題。左近将監(さこんのしょうげん)、右兵衛佐(うひょうえのすけ)。法号道鎮(どうちん)。今川了俊(いまがわりょうしゅん)(貞世(さだよ))罷免の後を受けて1396年(応永3)九州探題として博多(はかた)に赴任し、分国肥前をはじめ筑前(ちくぜん)、豊前(ぶぜん)、肥後などを治めた。了俊に反発していた島津(しまづ)氏は満頼に従ったが、筑前の少弐(しょうに)氏、肥前の千葉(ちば)氏などは容易に協力せず、満頼は九州経営に苦心した。しかし朝鮮にしばしば使節を送り大蔵経(だいぞうきょう)を求めるなど、通交、貿易を盛んにした。1419年(応永26)ころ子義俊(よしとし)に探題を譲り後見したが、23年義俊が少弐満貞に攻め破られて、九州探題の勢力は急速に衰えた。文安(ぶんあん)3年3月13日没。[小川 信]

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世界大百科事典内の渋川満頼の言及

【九州探題】より

…有能な了俊は,中央幕府にとって,もはや危険な存在となっていた。了俊解任により,渋川満頼が九州探題に任命され,以後,代々渋川氏(満頼,義俊,満直,教直,万寿丸など)が当職につき,一族・被官などを使って日鮮交渉に努めたりする。しかし早くも義俊のとき,1423年(応永30)少弐満貞に敗れてから,探題勢力は急速に衰え,その拠点筑前を失い,東肥前の一局地勢力にすぎなくなり,その存在意義を失ってしまう。…

【筑前国】より

…95年(応永2)8月今川了俊は九州探題を罷免され,京都に召還された。
[室町時代]
 後任の九州探題には渋川満頼(しぶかわみつより)が任命され,96年博多に下向した。渋川氏は九州経営に努めるが,特に大宰府に本拠を置く少弐氏との競合を余儀なくされ,しだいに局地勢力化していく。…

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